「川崎フットボールアディクト」

【#オフログ】涙のキャプテン

以前、サッカーと恋愛の親和性の高さについて論考したことがあった。この両者の共通点は「思い通りにならない」ということ。共に相手が存在しており、必ずしも望み通りの結末にならないという点に共通点を見いだせる。ということで、というといかにも乱暴だが、論理的な飛躍を承知で言わせてもらえれば、サッカーとラブソングは非常に合う。

ペナルティエリア内で2度の決定機を手にしながら枠に飛ばせず。アシストも決められなかったキャプテンが、柏戦後にサポーターへの挨拶時に泣いていたという証言が相次いでいる。状況からみて泣いていたのは確実だが、その涙のわけは、悔しさによるものだろう。ゴールチャンスがあっただけに、文字通りチームを勝たせられなかったことに対して責任を感じていた試合後。最後まで声援で後押ししてくれたサポーターに挨拶に行った時、ゴール裏は勝った時以上の声援で選手たちを鼓舞した。そんなサポーターの優しさに答えられなかった自らが不甲斐なくて、泣けてきた。

その時の心情を察するに、涙のわけはそういう説明が可能なのだろうと思う。そんな涙のキャプテンを見ているうちに聞きたくなったのが「涙のふたり」という歌だ。現在放送中のNHKの朝ドラ「まれ」の劇中歌で、パティシエの主人公と、輪島塗の職人を目指す彼が付き合い始める大事なシーンで使われる曲だ。

「泣かないで、泣かないで」というフレーズのサビに続いて、ラブソングらしく「死ぬまで一緒にいたいよ」と歌われる。

「泣かないで」も「死ぬまで一緒にいたいよ」も、涙のキャプテンに掛ける言葉としてはこれ以上のものがない。サポーターは、涙するキャプテンに「泣かないで、泣かないで」と声を掛けたいだろうし、そんなキャプテンとまさに「死ぬまで一緒にいたい」と願っているはず。

人間関係は、その人間が所属する組織がうまく行っているときはどうやったって良好に回る。真価が問われるのは、逆境に接した時。勝てなくて、苦しくて、どうしようもない時にでも、フロンターレのサポーターの多くはブーイングを封印してきた。そして「次こそは、頑張れ」と、ここぞとばかりに選手たちにエールを送り、彼らを鼓舞してきた。勝負の世界で戦う選手たちに対し、最も必要なときに声援を送ってきた。

0−1で敗れた柏戦後のサポーターは、これまでもそうだったように、この日も声援だった。

その声援が優しすぎて、キャプテンは涙した。

そんな肩を落とすキャプテンの後ろ姿に多くのサポーターが涙した。

そんな涙は、必ず力になる。

シーズンが終わった時「あの時の涙があったから」だと語られるものにしたい。

彼なら、できるはず。

彼らなら、できるはずだ。

江藤高志

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