「川崎フットボールアディクト」

【#オフログ】九州サッカー紀行。情熱を煮詰めた先にある純粋さと、それぞれのサッカーとの関わり方


1965年にできた門川クラブというチームを母体とするテゲバジャーロについて、柳田和洋社長は時に熱を持って説明してくれた。過去、宮崎に存在していたプロフェソール宮崎というチームで1998年から99年途中までプレー歴を持つという柳田社長は30歳になった2000年にチームの立て直しを依頼され、現在に至るという。今季の目標としてJFL昇格を口にする柳田社長は門番を倒すのが大変だと苦笑いする。

「九州リーグには、上を目指さない企業チームがあります。九州三菱自動車、海邦銀行、新日鐵住金大分。彼らは門番と言われて恐れられてます。彼らからは『とっとと上に行け(笑)』と言われますが、彼らとの対戦は簡単ではないので大変ですね」

その柳田社長は、石崎監督との会話の中で「わしは選手を畳一畳で殺せる」という言葉に度肝を抜かれたという。それはこの言葉のどぎつさではなく「雪の山形の練習場が使えず、体育館の中のバスケットコート1面分のスペースで25〜6人ほどの選手を鍛えた時に、一人あたりの面積が畳一畳になる」と根拠を示す話法だったという。そんな石崎氏の監督就任について「夢物語のようです。来てくれるとわかったときは涙が出そうになりました。こんなタイミングはなかなかないですし、めぐり合わせに感謝しています」としみじみと話してくれた。

テゲバジャーロは2026年の宮崎国体開催に合わせ、新たに整備される3万人規模の陸上競技場をホームスタジアムさせてもらえないかと模索しているという。「本当はサッカースタジアムが一番なんですけどね」と柳田社長は話していたが、現状そう簡単な話ではない。そんな宮崎県内の空気を変えその必要性を認めてもらえるのかどうかは彼らのこれからの活動にかかっている。

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