「川崎フットボールアディクト」

【えとーセトラ】南アフリカで尿管結石の発作が出た時の話

■発作

本格的に痛みが出たのは6月22日のこと。

ヨハネスブルグからラステンバーグへの陸路での移動時のことだった。
車中で不意に、経験したことのない痛みが発生。左側の背中になんとも言えない違和感、不快感が出てきた。

痛みといってもたとえば肌を切り裂かれるような、そういう痛みではなくて、鈍痛と言うか、不快感というか。今となっては忘れてしまっていて表現しにくいものではあるのだが、それにしてもじっとしていられないような変な痛み(不快感)だった。

どうしたものかと思っていたが、ここで突然AIU保険のことを思い出す。なぜ思い出したのかはさっぱり覚えていないのだが、もしかしたら親戚の看護師に連絡したことも一因かもしれない。とにもかくにも、海外旅行保険に入っていたことを車中で思い出した。

保険証書そのものはヨハネスブルグのアパートに置いていたのだが、ラッキーなことに期間を延長する手続きのため、実家に保険者番号をメール済みだった。つまり手元のパソコンに保険者番号が残っていたということ。またAIUの問い合わせ番号を検索し、日本のデスクに国際電話をかけて事情を説明。南アフリカを担当しているというパリのオフィスから日本語で電話してもらうことになった。

パリのオフィスからの着信に対し状況を説明。ラステンバーグ市内にある提携病院を教えてもらい、またパリから病院に連絡してもらうことで事前に事情を伝えておいてもらえるとのことで心強かった。

ラステンバーグのホテルにチェックインするころにはどうやら痛みが消失していたらしいが、AIUからは念の為診察してもらうよう言われており、翌23日の午前にAIUの指定病院にて診察。この時は痛みもなく、尿路感染症と診断され、抗生物質を処方され、ホテルに戻ることとなった。

その後フロンターレサポーターの方と知り合い食事。この時に発作第2波が到来。食事を早々に切り上げてホテルに戻るが、立っていても座っていても寝ていても、動いていても不快感が消えない。身を切るような痛みではなかったのは幸いだったが、それにしてもなんだかわからない鈍痛というか、不快感がずっと続いたため、再度AIUパリに連絡し再び病院へ。

「また来たのか、今度は何だ?(笑)」と笑われつつ、改めて全く事情が伝わっていないことに絶望しながら事情説明。今回は痛みが収まっていなかったため、とりあえず痛み止めの点滴を受けながら「いまAIUさんと話してますからね」的な看護師からの言葉を受けて、ベッドの上で進展を待った。

その数十分後「AIUとのやり取りが終わったよ」と看護師が来ると満面の笑みで「全部クリアになったから」と言われ、まずはCTを撮ると言われた。展開の速さに面食らうが、要するに診療費の取りっぱぐれがないことが分かったということ。

日本のように国民皆保険制度が機能している国は世界的に見れば稀で、どの国も基本的に個人負担の医療保険に入るか、実費を払うかする必要がある。南アフリカは皆保険制度がないため、患者の支払い能力はその都度厳しく査定される。

つまりぼくがどれだけの支払い能力があるのか。個人的に持っているクレジットカードの限度額、多くても100万円程度なのか、それともAIUがバックに付いた状態の2000万円もしくは無制限の違いは大きい。AIUがバックについたことで、ぼくにかかる治療費は上限以内であれば全額が確実にAIUから支払われることになることが判明。それを聞いて、合法的にやれることは全部やろう、という事になったものと思われる。


で、CTの結果、結石の存在を確認。左の腎臓から膀胱に至る尿管の中に結石ができていた。これを今日中に手術で取り除くと言われ、個室に通される。ちなみに個室にはシャワーが付いていたが、蛇口をひねると最初は赤茶色い水が出てきた。普段は使われていないということがわかるが、もしかしたらその部屋を使うには高額の差額ベッド代が必要で、普段から使う人が居なかった、ということかもしれない。

その後、夜になって、たぶん現地時間の20時半ごろだが、手術着に着替えストレッチャーで手術室へ。あれよあれよという間に手術の時間になった。

手術の様子を写真で撮っておいてと頼んでたので、その時の写真が何枚か残っているがこの時は全身麻酔だった。

ちなみに2015年に日本の病院で鼻の手術を行ったのだが、その時は全身麻酔の準備として各種薬物のアレルギー検査を入念に行った。そうした検査を全部スルーしていきなり全身麻酔するところが南アフリカらしい。


手術後、真っ先に思ったのは喉の乾き。あとは「息子」の痛みである。とにかく痛くてたまらなかった。後に看護師さんから尿瓶のようなものを手渡されたが、排尿しようと思っても、とにかく尿道が痛く、さらに排尿というよりも純粋な血液が出てくるような状態で色々と血まみれだった。またさらに驚いたのが息子の先っぽからエナメル線のような被覆材で覆われた細い針金状のものが出ていたこと。色々と訳がわからない中、とにかく血がダラダラと出ていて不安になりつつ、その日はそのまま寝たような気がする。


22時11分に撮影されたこの写真が、体内から出てきた石で、大きいと言われたもの。

病室で眠れない一夜を明かした翌朝、午前6時18分に執刀医のセクさんから手術についての説明を受けた。全部英語だが、まあまあ何を言ってるのかは聞き取れた。尿管から管を差し込み、石を取り除いたということ。尿管が狭く、それが今の出血の原因だということ。そうした説明を聞いた。


これは内視鏡で撮影した石の写真。

ちなみにセクさんはいわゆる「息子」のことを「ブラザー(兄弟)」と言っていた。そこらへんの表現はお国柄が出る部分かもしれない。

セクさんはもう一泊していけというのだが、この日はワールドカップ南アフリカ大会グループリーグ最終戦の日本対デンマーク戦の日で、日本がアウェイで初めてベスト16入りを決めようかという決戦の日だった。そこでセクさんに「おれはこの試合を取材するためにこの4年間仕事をしてきたんだ」と伝えると「分かった。じゃあ退院を許可します。ただし、これは自分で抜いてね」と息子の先から出ているエナメル線のことを話し始める。

聞けば線自体は15cmくらいだということで、正直痛いし怖かったが、自分で抜くことに同意して退院。デンマーク戦の取材に向かう事ができた。

現地で日本代表の快挙を見届けてホテルに戻り、言われた午前2時に息子から線を抜く措置を実行に移した。

15cmくらいと言われていたのだが、どれだけ抜いても終わらない。終始「ツー」という痛みを尿道に感じながら30cmほど抜くと、突如として管が黄緑色に。

「あれっ?これ膿んでるの?」と絶望してそのまま抜き続けると、結局黄緑色の管が30cmくらい出てきて措置が終了した。よく万国旗をポケットとかから抜き出す手品があるが、そんな感じで抜き続けた。

痛いのと怖いのと戦いながらやりきった自分を褒めつつ、都合、60cmくらいのものが自分の尿道に入っていたのが驚きでしかなかった。

「15cmという話は何だったんだ」と思いつつ、無事に抜けてホッとしたのを覚えている。

翌朝、早朝の日本メディア向けバスでヨハネスブルグに戻る予定だったが、午前2時まで起きていて管を抜く措置を実行したため、寝坊。どうやってヨハネスブルグに帰ろうか途方に暮れていたところ、食事をともにしたフロンターレサポーターの方と再会。レンタカーを借りているとのことでヨハネスブルグまで同乗させてもらった。この時は本当に助かりました。

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