「川崎フットボールアディクト」

新興勢力「フリーの概念」が目指すのは、先行する「フリーの定義」集団【コラム】

先日書いた清水戦のレポート中に、立田悠悟の言葉を使わせてもらった。

中村憲剛、自らの復帰戦を復帰ゴールで飾る。「もっている」選手の凄みを示す/J1 第13節 川崎vs清水【レポート】

立田は清水とフロンターレの間にはクオリティの差があり、その一つがフリーの概念の違いではないかと説明していた。

「フリーの概念が違うのはボクが考えることですが、相手が近くにいても、川崎の選手はすぐにパスを付けるし。でもうちは距離感が悪くて、フリーの概念というのも、個人個人で違うのでボールを付けられないという状況があってボールを動かせない」

パスの出しどころを見つけられなければボールを動かせず、包囲網は狭められてしまう。そうやって窮屈なサッカーを強いられた清水は追い込まれていった。

立田が口にする「フリーの概念」という言葉はフロンターレとしても馴染みが深いものだ。フロンターレでは「フリーの定義」として使われてきたもので、同じ概念として捉えられるもの。相手選手が1mの距離で隣に居たとしても、それは十分にフリーだという考え方を指すもので、今でもその定義はフロンターレのサッカーの根幹を成すものになっている。

立田のこの認識について、先日中村憲剛に聞いてみた。クオリティやフリーの概念という言葉を使っていたが、技術的な差は感じられましたか?と。

「あまり、他のチームの話はしない方が良いかなとは思いますが」と話し始めた憲剛がフォーカスしたのは「フリーの概念」という言葉そのものだった。

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