「川崎フットボールアディクト」

小宮山尊信「パス来ないだろうなって思って走らなかったら、ちゃんと出てきて『走れよ!』って」中村憲剛の引退を受け【コラム】

中村憲剛に海外移籍の話が浮上したときのことだから2011年のシーズン中だったはず。今はなきプレハブのクラブハウス裏手の駐車場で、憲剛は記者陣に囲まれていた。

そんな憲剛の脇を家路につく小宮山尊信が通りがかったときのことだった。

「憲剛さん、また来年も一緒にやりましょうよ」

朴訥とした、冗談ぽい語り口ではあったのだが、その口調の中に真実味が含まれていたのが印象的で、今でも覚えている一言だった。

「そんなこともありましたね」と話し始めた小宮山は、そもそも2010年のフロンターレへの移籍は憲剛がいたからなのだと話し始めた。

「(フロンターレへと)移籍するときも憲剛さんが居るというのはもちろんありましたし、この人とやってたらもっとサッカー上手くなるかもとか、なれるなというのがあったので」

そんな期待感を持って移籍した小宮山は、2010年のシーズン初戦となるACL城南一和戦で憲剛ともに先発出場。不幸にもこの試合で憲剛は顎を骨折してしまう。

「憲剛さんと最初、ACLで一緒に試合できたんですが、その試合で憲剛さんケガしちゃって。それでしばらくはなれちゃったときとかも、すごい残念でした」

そんな憲剛とのプレーは小宮山にとって楽しいもので「自分が走り込んだところにパスを貰うのも、ワクワクでしたし、パス来ないだろうなって思って走らなかったら、ちゃんと出てきて『走れよ!』って言われたときは、見てるのか?!って思いましたね」

小宮山の経験上、これは出てこないだろう、というタイミングでもパスが出てくることに驚かされ、対戦相手として対峙したときに脅かされたパスそのものだったという。

「敵として対戦した時も本当にすごかったですよ。サイドバックってポジショニングで結構駆け引きしているんです。オフサイドを見つつ、センターバックの裏のスペースのカバーリングを意識してて、それでちょっとポジションをミスすると、確実にそこを使われて。本当にすごかった」

そんな小宮山が憲剛の引退のニュースを見て思ったのは「なんで?」という思いだったという。復帰からのプレーを見て、もっとできるだろうと思ったのだという。

「びっくりしました。色々な感情がありました。なんでって思いましたし傍から見てても、もったいないと思いましたし。ただまだやれると思いました」

ただ、と同時に、引退の経験者として「それでも辞めるってことは、それなりに相当なものがあるんだろうなって思いました」と述べて理解を示した。

そんな小宮山は、引退後の憲剛についてこんな言葉を口にしていた。

「サッカーをプレーしているのかどうかが変わるだけで、引退しても、プレーしているのと同じ姿勢、同じマインドでサッカーと接してやっていくんだろうなと思うんですよね。だからお疲れ様なんですけど、お疲れ様じゃないんだろうなって思います」

「引退試合、どうだろう。呼んでもらえますかね?」と話す小宮山だったが、復帰戦直後に送ったLINEに返事を付けてくれて、そのことだけでも嬉しいと話していた。

■中村憲剛の引退に対し、以下のお二方からコメントを頂きました
・薗田淳(2007〜11年、13年所属)
「LINEやSNSでメッセージを伝えようと色々文章考えましたが適切な言葉が見つかりませんでした。シンプルですが、感謝の気持ちです」

「心の底からありがとうございました」

・石崎信弘監督(2001年〜2003年所属)
「ケンゴ引退するのか。
昨日(多摩川クラシコ)のプレーを見てまだまだやるのかなと思ってたのに残念です。
18年間お疲れ様でした。
ケンゴのプレーを見るのが好きでした。
わしのフロンターレの最後の試合は天皇杯のジェフ戦。その試合で風邪をひいてロッカールームで寝てたのを思い出します(注釈・プレーできていれば、もう一つ先に行けたかもしれない、ということ)。
長い選手生活お疲れ様でした。
これからも日本のサッカーの為に頑張って下さい」

(取材・文・写真/江藤高志)

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