出藍の誉れの大団円。中村憲剛は18年の現役生活を天皇杯初戴冠で終える/天皇杯決勝 川崎vsG大阪【レポート】
天皇杯決勝 川崎vsG大阪
1月1日(金)(14:40KICKOFF/国立/13,318人)
川崎 1 – 0 G大阪
■大島僚太の涙
淡々と受け答えしていた大島僚太が、涙声になった。涙の訳は中村憲剛だった。中村憲剛という選手の存在について問われた大島は、冒頭絶句して、絞り出すように、言葉を紡いでいった。
「居なくなることが、信じられないとえば信じられないし(涙声)。
それくらい一緒にプレーしている間に、たくさんのことを教えてもらいました」
中村憲剛が持つボランチとしての知識を惜しみなく注がれた大島は、憲剛がフロンターレに残した最高傑作の一人だった。
天皇杯決勝を戦うフロンターレは、インサイドハーフにその大島に加え田中碧を。そしてアンカーに守田英正を配する布陣で決戦に臨んだ。田中も守田も、憲剛の薫陶を受け育った日本随一の中盤の選手だった。
「青は藍より出でて藍より青し」ということわざがあるが、まさに憲剛が育て上げた日本最高クラスの彼ら3選手が躍動。師とも言える憲剛はベンチを温め、それでもフロンターレは天皇杯を勝ち取った。憲剛が居なくても戦えることを証明したフロンターレは、実際に強かった。序盤からG大阪を圧倒し、まさにハーフコートゲームとも言える試合展開となる。
両チームにそこまでの戦力差はなかったが、リーグ戦第29節の大敗が重荷になっていたのか、G大阪はサイドを気にしすぎた。メンバーリストや試合展開を見る中で当初、4バックでスタートしているものと考えたが、右サイドハーフの小野瀬康介が頻繁に最終ラインに吸収されており、また左サイドバックと考えていた藤春廣輝が前方に出ていく局面では全体がスライドし、小野瀬がラインに入ってリスク管理。結果的に守備的なコアの3枚を必ずゴール前に残し、左右のウイングバックを適時最終ラインに落とすという戦い方を行っていたことになる。
このG大阪のフォーメーションについて家長昭博は次のように振り返っている。
「4バックかなと思って試合に臨んだんですが、5バックで、サイドに蓋をしに来てる感じはありました」
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