「川崎フットボールアディクト」

井川祐輔「本田圭佑、川島永嗣。海外に行くっていう目標を掲げて逆算して彼らは行動してた」(1/4)【インタビュー】【無料公開】

■フロンターレでの経験

――振り返ってどのシーズンが一番楽しかったですか。2007年とかですかね。
「楽しかったですね、2007年は。僕の記憶にあるのは、全南ドラゴンズとの対戦ですかね。まだ(川島)永嗣が居たときの遠征の話ですが、ホテルに着いたときになんかね、あの日本の音楽流してくれたんですよ。それが結構、イメージあって。韓国に来てるのに日本にいる気分やなみたいな感じもありましたし、やはりACLはぼくはすごく好きでしたね。色んな思い出がありますけど、ACLは」

――アレマ・マランは強烈でしたけど、行ってましたっけか?
「そこだけ行って無くて(笑)。あとはその後はセパハンとかも、もちろん行ってますし、良かったですね」

――アジアの大会って刺激ありますよね。
「今、セパハンって言いましたけど、多分、今って決勝でないと西アジアとはやらないでしょ。だから決勝トーナメントに上がった時点で僕たち結構混ざったのは結構懐かしいなあと思いますけど」

――今振り返ると、という話になりますけど、03年は広島に所属してて最終節で対戦してますよね。対極的でしたね。
「そうですね、前節に僕たち昇格決まってたので。良かったですね、あれは本当に。最後に昇格が決まるかどうかの試合だったら多分、厳しかったと思うんで。そういう意味で、そこで対戦したフロンターレに移籍するなんて全然想像もしてませんでした」

――フロンターレでは長くチームの柱というか、大事な選手としてプレーしてきましたけど最後の2シーズン、ケガがあったのが残念ですよね。そこは改めてどうですか?
「ケガはつきものだし、しょうがないんですけど『無事これ名馬』という言葉がありますけどそういう意味ではディフェンスとしては34〜5歳の年だったんですが、ある意味経験値とかでカバーできて楽しいなっていう思いがすごいあった中でケガしてしまったので。そこはすごいもったいないなーって自分では思ってましたし。ただ、特にその2017のACL広州恒大戦でのケガっていうのは、自分にとって初め手術をするぐらいの大ケガだったんですけど。それがあったからこそ、香港に行ってたと思っているので。まあ、今から振り返れば、あれもいい思い出じゃないですけど、あれがあったからこそ今があるんだなって言えると思いますけど、やはりその中国で靭帯断裂しちゃった時はもう本当に引退だなと思いました」

――その一つ前に、イースタンで試合に出て、広州恒大で先発してみたいな流れでね。
「たらそのイースタンの時はキャプテンだったんですよ、ぼく。その対戦したチームに翌年行ってるってのも面白いし。でもあそこでキャプテンやってなかったらたぶん、僕の認知度もなかったかもしれないんで香港での。もちろん香港ではJリーグは人気があるので。もちろん川崎フロンターレが来るとかみんなたぶん、わかってたけど。そん中でやっぱキャプテンっていうことで、写真撮られたりしてたのが大きかったのかなって思うんで。本当になんかもう人生って巡り合わせはめっちゃあるんだなと感じてます」

――板倉滉のプロ入り後初ゴールだったよね。
「そうですね。あとはナラちゃん(奈良竜樹)が退場するという」

――あの試合に出たことが知名度を上げることにもつながってたんですね。
「そうですね。香港で知名度上げるとかって全くその時には考えてなかったけど、結果的に上がったっていうことですね」

――17年で満了になってトライアウトも受けてましたけど、Jリーグの最後のクラブはフロンターレがいいということも言われていて香港にいかれていて、そこら辺の経緯を改めて教えて下さい。
「夏くらいには契約満了って話はもらってて。その時に選択肢としては、フロンターレに残れば、という感じではお話を頂いてたのは間違いなくて。ただその、やはりケンちゃんの、中村憲剛の最後の年と一緒で、このままでは終われないなっていうのはサッカー選手としてすごいあったんですよ。だから復活して、もう一回サッカーをして、そこで区切りをつけて引退するってのは自分の中でプランがあったんですね。じゃあどうするかってなった時に、もう12年間お世話になって、たとえばJリーグの試合に出た時に、前所属が川崎フロンターレになるのが僕はやだったんですよ。だから国内移籍は全く考えてなかったんですよ。それでなんでトライアウト出てるのって話なんすけど、トライアウトに出た経験って人生一度しかないかなと思ったんですね。だから自分の経験をしに行ったっていう話です。どんなものなのかなぁみたいな、そういう感じでした。

香港については『契約満了ですよ』と告げられた時に、僕の頭によぎったのは、絶対に海外でやるって言う事でした。それしかなくて、その理由として過去の同僚の、本田圭佑、川島永嗣。特にこの二人が海外に飛び立っていったんですけど、彼らが日本にいる時からもう、海外に行くっていう目標を掲げて逆算して彼らは行動してたんですね。自分もやっぱ、海外でやるのは夢だったんだけど、そこまでに多分熱い思いが彼らよりなくて。結局、というのとフロンターレとの水が合ってしまったって事があって、ずっと日本にいたんですけど。僕、後悔するのやなので。やっぱりサッカー選手として、人として、海外に住みたいという思いがあって、絶対それは達成したいと思ったんです。それから、それをするためはどうしたらいいのって考えた時に、今の自分の年齢でヨーロッパは無理。であればアジアだろうと。では、どこ行くのってなった時に、コネがあるのはどこかなって考えたら、まず香港があったんですね。じゃあ香港は英語圏だよねと。結構、昔行ってたことがあったんで。これはちょっと自分の勉強にもなるし子供達にも良い環境だろーってことで香港に絞りました、ということから行動して、移籍に至っていうことなんですけど。この移籍に至るまでの経緯って多分まだちゃんと喋ってないと思うんですけど、あんまり」

――狙って香港に行こう、ということで動いたんですね。
「そうですね」

――苦労したんですかね?
「めちゃくちゃ苦労しましたよ」

2/4に続く

(取材・構成・写真/江藤高志)

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