中野吉之伴フッスバルラボ

ドイツでサッカーを学ぶことの意味とは?日本人大学生が気付いたサッカーと向き合うということ

▼大阪の大学生が体験したドイツでの短期留学

16年、私のもとで2カ月間の研修を受けた一人の大学生がいた。彼との出会いは2016年1月だった。その頃、私は日本での活動の仕方を模索していた。どういう形で動けば、ドイツで身につけた様々な経験と自分の思いを誤解なく伝えられるのか。そして、一方通行に終わるのではなく、互いに波及し合ってそれぞれに学習機会となるのか、と。

そこで、「ドイツのグラスルーツにおける育成」をテーマに講習会を開くことを思いついた。友人の精力的な協力のおかげで、無事に新横浜で開催することができ、講習会は成功に終わった。大学生の彼とは、このときに知り合った。

大阪のあるクラブで指導をしているが、日本のスポーツ界の在り方を疑問に感じ、その糸口を探りたい。そう思い、大阪からわざわざ新横浜まで足を運んでくれたのだ。誰にでもできることではない。さらに、ただ参加して話を聞くだけではなく、友人を介して「30分でいいから直接話をする機会をいただけないか」とアポをとってくれた。その熱意が心地よく、また懐かしくもあった。なぜなら、大学時代の私もまた、そんな思いを抱いていたからだ。私は快諾し、講習会前に1時間ほど時間を作った。彼の聞きたいことに対し、包み隠さず何でも話した。その後、「ドイツにくることがあったら連絡しておいで」と伝え、その日は別れた。

大阪に戻った彼は、すぐにメールをくれた。

「8月にドイツに行きたいです。フライブルクに行きます。2カ月間滞在して、ドイツサッカーをいっぱい見てきたいです」

「ドイツに行くことがあったらよろしくお願いします!」と言って、本当にドイツに来る人はあまりいないし、ドイツ旅行に来てもフライブルクまで足を運ぶ人はほとんどいない。こんなやりとりは久しぶりだった。だから、ふと思い立って、私からこんなことを提案してみた。

「私が監督を務めるチームで2カ月間、スタッフとして帯同しないか」

もちろん、彼の意欲がうれしかったのが理由の一つだが、「何を見定めるのか」の基盤が大切だと思ったのだ。特に短期間の滞在の場合、行き当たりばったりでは時間を無駄に過ごしてしまうことが多い。だから、彼に3つのことをアドバイスした。

1.サッカーだけを見にいかない
2.ドイツ語を少しでも学んで生活をしてみる
3.見るだけではなく、飛び込んで体験してみる

その上で、「サッカーの何を見たいのかを掘り下げて考えて来るように」とも伝えた。外から眺めているだけではわからないことがたくさんある。自分から動き出さないと感じられないことがたくさんある。2カ月は本当に短い。しかし、時間の使い方次第で、どこまでも実り多い滞在にすることはできる。

▼ 彼が気づいた心の余裕とは?

彼は、私からの申し出を彼は快く聞き入れ、8月にフライブルクにやってきた。チームの始動は8月下旬なので、それまでは自分の時間を使って、語学学校に通い、ドイツ語を使い、ドイツ生活を満喫し、いろんなところに足を運んでいたようだった。我が家にも何回か招待し、子どもたちとも楽しく遊んでくれた。

8月22日、チームの始動日。緊張した面持ちで、彼は子どもたちの前に立ち、自己紹介をした。子どもたちは興味津々に見ている。アシスタントといっても、いきなり様々なことができるわけではない。子どもたちと一緒にプレーしながら、見本となるプレーをしてくれるように、まずはお願いした。

「ドイツの子どもらしいな」と印象深かったのはミニゲームの一幕だ。私たちコーチ陣も一緒にプレーしていたが、相手チームでプレーしていた彼は、ドリブルからまったくのフリーで左サイドにいた味方へのパスをミスしてしまった。その瞬間、逆サイドへ動き出し、次のプレーに備えていた子がボソッとつぶやいた。

「コーチが間違ったプレーしてどうすんの…」

焦って前に持ち出す場面ではなく、正確につながなければならない局面だったのに、不用意にリスクの高い勝負パスをして、ミスをした。U15にもなれば、そうした状況に応じたプレーはよく理解している。私は子どもたちとよく一緒にプレーする。そして、気をつけているのは「うわべのプレーをしない」ことだ。子どもたちが、私のプレーをまねることでプラスになるようなプレーをしなければいけない。守備ラインでボールを回しているのに、子どもだからとボールをこねくり回して笑ったり、中盤でつなぐところで突然ヒールパスをしたり、そんな奇抜なプレーをコーチがしていたら、子どもたちはどう思うだろうか。自分たちがやったら怒られることなのに、自分たちは勝手にやって「ごめん、ごめん」と笑う。そんな情景を目にした子どもの思いを考えなければいけない。

指導するアウゲンのトレーニングは週に3回ある。練習後、熱心な彼はその日のトレーニングで生じた質問をしてきたり、練習がない日にはSCフライブルクのユースアカデミーや、私が前に所属していたフライブルガーFCの練習へと精力的に動いていた。

「明日はホッフェンハイムの練習を見学しに行ってきます」
「明後日はフライブルクのユースの試合を見に行きたいです」

2カ月という限られた時間で、可能な限り多くを見たいという思いはわかる。でも、それはコンパスを持たずに海に飛び出しているようなもの。あれも、これもすごい。ただ、それではいい部分しか見えない。単純に日本で見てきたもの、やってきたことと比較して、「だから日本はダメなんだ」という盲目的な考えにとらわれてしまう。

「日本だから」ダメなのでも、「ドイツだから」すごいわけではない。自分の立ち位置を固め、様々なことを学び、感じ、なぜこうした違いが生まれているのか、そもそも両者の何が違うのか、に思考を巡らせなければならない。そのために彼がこの渡独で学ぶべきことは、「何事にも揺れないものの考え方・見方・感じ方の基盤となるものを子どもたちとの指導体験を通して、身につける」ことだった。

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