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中野吉之伴「子どもと育つ」

大学生指導者が見た日本とドイツの違いとは?子供が成長する環境を考える

▼なぜ日本の子どもたちは成長しないのか?

次の練習日、いつものように身支度を整えてピッチに足を踏み入れると、彼はすぐに子どもたちの方に歩み寄り、自分から手を差し出して握手をし、つたないドイツ語であいさつをして一緒にボールを蹴り出した。

子どもたちも、彼の変化に気づいたようだ。それからは練習日になると、彼の周りに子どもたちが集まるようになった。楽しそうにパス交換をして、股抜きをし合って笑い合った。コーチ陣とも話をするようになった。英語とドイツ語でごちゃごちゃになりながらも、話そうとし、聞こうとし、分かり合おうとした。私が知り合ってきたドイツの人たちは、こちらが一生懸命にコミニュケーションをとろうとすると、必ず真剣に耳を傾けてくれる。わからないことがあっても、何とか伝えようとしてくれる。

私もそうやって、何度も何度も、助けられた。ばかげたミスをしたことがあった。迷惑をかけたことがあった。でも、謝りにいくと、すぐにまた受け入れてくれた。助けてもらったからと丁寧にお礼をしようとすると、「当たり前のことをしただけだ。気にしないでくれ」と笑ってくれた。懐の深さがあるのだ。助け合いながら生きる。当たり前のことがそこには当たり前にある。逆に助けを求めずに自分一人で抱え込むと、怒られた。助けてもらうことは悪いことではないのだから、と。自分が助けられるときに助けてあげればいいのだ、と。

2カ月はあっという間だった。そして、帰国日が近づいてきた。ファーストチームのリーグ開幕戦が帰国日だったため、その前日に行われたセカンドチームの開幕戦が彼にとって子どもたちとの最後の時間だった。彼には、気にかけていた子がいた。心優しいが、サッカーになるとうまく自分の感情をコントロールできない。仮に、その子をAとしよう。そのAが、思い切りのいい動きで2得点をマーク。試合は引き分けのまま、アディショナルタイムへと突入した。中盤でボールを受けた相手の選手がミドルシュートを狙う。シュートはゴール枠の上へ外れた、ように見えた。しかし、審判はゴールの判定。枠上に外れたシュートが、後ろのネットに当たって跳ね返り、穴の開いていたゴールネットから戻ってきたため、審判は誤認してしまったのだ。

ドイツの育成では、審判は1人制が通常。ビデオ判定も、副審もいない。この日はナイトゲームだったので見通しも良くなかった。だから、こうしたミスジャッジがよく起こる。でも、どちらが勝つかというギリギリの展開で、試合終了間際という時間帯で起こると、さすがに納得がいくはずもない。我慢できなくなったAは、感情をコントロールできずに怒鳴りだした。私はすぐに駆け寄り、Aを抱き寄せて何度も語った。

「ミスジャッジだって起こるんだ。不運に負けることもある。アンフェアだと思うような展開だってある。でも、ここで自分を見失ってしまえば『バットルーザー』になってしまう。頑張ったことさえも無駄になってしまうんだ」

彼は泣きながら何度もうなずいた。この瞬間は負けた悔しさで怒りが爆発したのだと思った。でも、多分、きっとそうではなかった。Aは、大学生のために何としても勝利をプレゼントしたかったのだ。日本へ帰る友のために、勝って笑って再会を約束して別れたかったのだ。届かなかった思いを前に、気持ちが止まらなかったのだ。試合後、子どもたちはみんな控室に集合し、彼に感謝のプレゼントが渡された。クラブ名と彼の名前が入ったトレーニングウェア。子どもたちに「私たちの一員だ」と認められたのだ。大学生に挨拶を促すと、ドイツ語では伝えきれないので、私の通訳で日本語で話し出した。

「私は中学生の頃に練習のやりすぎで膝を壊し、一度サッカーを投げ出しました。いま思うと、なんであんなことをしたんだろうと思うことばかり。みんなはこんなに素晴らしい環境でサッカーができる。だからどうか、いつまでもサッカーを好きでいてください」

子どもたちからは大きな拍手がおこった。彼の思いが間違いなく伝わったのだろう。Aは涙を浮かべながら、でも笑顔で手を叩いていた。彼が語っていた「サッカーは人と人の心を結びつける」という魅力が100%詰まった瞬間だった。

試合後、私と彼は最後に飲みに行った。彼は初めて自分からプライベートなことを話し出した。良かったことも悪かったことも、楽しかったこともつらかったことも。私は黙って聞いた。彼の中で「何かがほどけたんだな」と感じた。別れ際に彼が見せた笑顔は、一点の曇りもない晴れ晴れとした素敵な笑顔だった。

そんな彼と、先日久しぶりに再会した。2017年6月の一時帰国の際に、大阪のJグリーン堺で指導者向けに行った講習会に顔を出してくれた。最後の質疑応答の時間で、私は参加者の前で彼のことを紹介し、一つだけ質問した。

「ドイツで2カ月間見てきたサッカーと、ドイツから帰ってきてから見えた日本のサッカーで君が感じた一番大きな違いは何だった?」

彼はちょっと考え、目に力を込めて答えた。

「私がドイツにいたのはたったの2カ月です。しかもチームに帯同できたのは実質1か月しかありません。でも、その1カ月の間に、子どもたちがみるみる成長していく過程を目にしました。初めての練習日には、『あれ、あんまりうまくないな。日本の子の方がもっとできるな』という思いがありましたが、彼らはどんどん良くなっていく。うまいのにぎくしゃくしている、うまいのにうまくチームと噛み合っていないという子がいて、その子のことをよく見ていました。その彼が、私が帰る前日の試合で見違えるような動きで躍動しているのを見て、すごくうれしかったのを覚えています。

そして、日本に帰り、また指導しているチームに戻りました。そのときにびっくりしたんです。みんな、ほとんど成長していなかったから。1年前と比べても、まったく成長していないんです。0といってもいいと思います。毎日のように練習をしてるのに、全然伸びない。なぜでしょうか」

彼の声に、参加者は黙って真剣に耳を傾けていた。ドイツの現場で生きた体験をしてきた彼の言葉は、経験豊富なはずの日本の指導者に、大きな影響を及ぼしたのではないだろうか。

そういえば「毎日同じ練習ばかりして、『これでうまくなれるのか』と疑問に思っています」というような内容の質問を日本の中学生からされたことがある。来る日も来る日も同じ練習ばかり。一生懸命練習しているのに、うまくなっている実感はまったくない。ほかの練習をしたいが、顧問の先生に相談しても、「勝手なことを言うな」と受け入れてもらえない。悲しいけれど、これが日本で行われている『日常』の一つだろう。

「練習はウソをつかない」

しかし、そのためには正しい練習がされなければならない。練習にウソをついたら、どんなに汗を流そうが、どんなに歯を食いしばって取り組もうが、臨んだ成果を手にすることはできないと、私は思う。成果とは大会の結果のことではない。サッカーに取り組む人がその先のステージに向かうのに必要なものを身につけられたかどうかだ。高校サッカーでやめる選手が続出している現状が変わらなかったら、成果も成功もあったもんじゃない。

ドイツにいるすべての指導者が優れているわけではない。だけど、彼らはサッカーがどういうものかはわかっている。大人になっても続けていける、続けていくものだ。だから、ミスと向き合える。あなたの関わる育成現場には、「子どもたちが、指導者がミスと向き合える環境があるだろうか? ミスが起こりそうなトレーニングがオーガナイズされているだろうか? そして、ミスが起きたときに的確な修正が行われているだろうか?

それが曖昧なままでは、練習も試合もプラスに働かない。一つのミスを切り取って、ミスそのものだけと向き合わせるだけではではない。インサイドキックでパスミスが出たからと、向き合ったパスを100回やっても、ミスが起こりうる状況の認知と問題解決の判断が伴うようにならなければ、同じようなミスを再発する。何を積み重ねることがトレーニングの意義であるか。それがわかれば、停滞期も下降線をたどる時期もなんら焦る必要はない。成長曲線は右肩上がりにいくものではないのだから。

彼の体験から、日本がドイツのグラスルーツから見習うべきことがたくさんあることをあらためて感じた。彼はかけがえのない大きなものをドイツで見つけたのだろう。私もまた、彼との時間を通じて、大事なことをあらためて学んだ。メッセージは心を通わせなければ通じない。心を通わせるためには動き出さなければならない。動き出しても、相手を慮らないと伝えられない。相手のミスをも受け入れる懐の深さを養うために、私もしっかりと子どもたちと向き合っていこうと思う。

主筆者 中野吉之伴(【twitter】@kichinosuken

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