中野吉之伴フッスバルラボ

論理的な思考を導くドイツにおける基本的な教育の考え方。九九は暗記することが目的ではない?

▼ドイツに長く暮らしていると、大変なこともあったんではないですか?

よく聞かれる。ドイツに住んで16年以上が経ったが、最近はインタビューを受ける機会が少しずつ増えた。自分のやっていること、やってきたことに興味を持ってもらえるのはうれしい。ただ、冒頭の質問は答えに困る。「やっと苦学生がここまでやってきたんです」的な話に、みんなが興味を持ちやすいのだろう。でも振り返って、「いやー、これこれが大変だったんですよ」と、特に苦労話が思いつくわけではない。

だから「そんなでもないですよ」と答える。
しかし、納得してもらえない。

「でも、大変なことたくさんあったと思うんですよ」
「簡単なことではないですよね?」

こう切り返される。何を期待しているのだろうか。嘘も見栄もなく、「あれは大変だった」と感じたことは本当にないのだ。いや、苦労そのものはたくさんしている。むしろ苦労の連続だ。プライベートで悩みを抱えることは山ほどある。ビザの獲得には時間がかかるし、子育てだって頭を悩ますことの連続だ。嫁と意見が食い違うことだって普通にある。いまだって、家賃問題で大家といろいろ交渉中だ。

しかし、それはドイツに来たから、生き方を模索してきたから生じたものではないわけで、どこで誰とどのように暮らしていても、当たり前にあること。いわば日常の一部だ。だから、その時々で腹を立てたり、理不尽を感じることはあっても、総じて振り返り、それらを「大変なこと」とはとらえていない。

苦労とは、自分が知らない常識や考え、やり方や理論と衝突したときに起こるものだと思う。これまで経験してきたこととは違う考えに戸惑い、これまで培ってきたやり方では越えられない壁にひるむ。思いどおりの考えを、相手が持っていないからもめる。慣れ親しんだやり方を外れると、普段以上の労力でヘトヘトになる。

でも、別の角度から見ればこうしたプロセスは「おもしろい取り組みだ」とも考えられる。

「なるほど、そういう考えもあるのか」
「相手の言わんとすることもわからなくもないな」
「どうすればお互いにプラスになるような解決策を見出せるかな」

好奇心をもって取り組むと、それが思いどおりのことかどうかはどうでもよくなってくる。どうすれば、このステージをクリアできるかの挑戦だ。私は、いつも「なんとかなるよ」と口にしてきた。のんきに構えているわけではないが、まずは向き合うことが大切だ。そして、そう言った手前、何とかしなければならない。何とかするためには、何をすべきかを考えなければならない。

このプロセスは刺激的で、魅力的なことだ。海外で暮らすのだから、違うことが当たり前! いや、別に海外と分けて考える必要すらない。「ここが違う」と、いちいち確認する意味がないくらい、本来は世の中違うことだらけだ。

だからこそ解釈の仕方が大切であり、スキルとして身につけるべきだ。観察の仕方次第で、事象はポジティブにもネガティブにも形を変える。例えば、「ドイツの育成はすばらしい」、「ドイツの教育システムを見習うべきだ」という声を聞く。我が子がドイツで学校に通う私からすれば、「そうかもしれないな」と、確かに思うことはたくさんある。

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