中野吉之伴フッスバルラボ

「一度じっくり考えて必要なものを取り入れて頑張ります!」ってどうなのだろう?参考にすべきは成果ではなくプロセス

▼次男の友人のパパは修理工だ

彼は、いつも忙しい。空手をやっていて、息子もうちの次男も空手に通っている。マナーに厳しいし、とても強面。でも、とても優しい人だ。家族を大事にし、仕事をして生活し、料理が上手で、趣味があり、子どもの成長を楽しんでいる。そうした親の存在は子どもの成長に大きな力となる。

逆に、親に関与されない子どもは、なぜか同じような境遇の子と輪を作る機会を増やす。そこで支え合って自分たちで新たな道を見つけ出せることもある。そうなれば素晴らしい。でもお互いの境遇を愚痴り合い、やる気を失い、どうせ自分はダメだからと落ちていってしまうケースも後を絶たない。そんな希望をなくし、町を歩いている若者を見るといたたまれなくなる。その子たちが一念発起して、どこかの扉を叩けば、また道は続いていくはず。ただ扉を叩こうという気持ちにさせる人がいなければ、どこまでも落ちていく。だから、どんなに忙しくても、可能な限り子どもへの関心を持ってほしいと切に願う。

このことについて、『自己責任』という言葉を使うのは簡単だ。でも一歩間違えば、誰しもがそうなるかもしれないと、常に覚悟を持ってやっていかなければならないとも思う。余裕がある家はいい。しかし、様々なことで忙しい親がすべてを背負うのは酷すぎる。だからこそスポーツや芸術、音楽といったものが、そうした教育や社会の隙間を補う存在として貴重なのだ。自分がやりたいと思うものと向き合う時間や環境が、子どもの心を救い、成長への確かな力となる。

仕事が忙しく、なかなか子育てに時間を割けないのなら頼ってほしい。いや、頼ることができる環境であってほしい。そうした家の子であっても、経済的にも立地的にも無理なく通える環境が、その社会全体の本当の地力なのではないだろうか。

クラブとして、自分たちの哲学を持つことは大切だ。そして、子どもたちはこのクラブが合わない、より高いレベルでやりたいと思えば、移籍する権利がある。そうやってドイツをはじめ、ヨーロッパでは夏と冬の移籍期間を利用して、チームを変える子どもたちが普通にたくさんいる。こうした移籍がプラスに働いている限りは問題ない。

でも、自分のステージが見つからずにどんどん落ちていく子もいる。移籍を繰り返しても、自分の居場所が見つからないことだってある。子どもたちにとって、ここが最後の砦ということもありうるのだ。「だめだったら他を探しなよ」というだけで全てが解決するわけではない。だからこそ指導者として現場に立つ私も、ここが子どもたちにとって欠かすことができない居場所だということを肝に銘じ、常に気を引き締めている。

日本では、どうだろうか?

もし、子どもたちがそれぞれのクラブ・部活動をまっとうな形で、つまりそれぞれがやりたいことと向き合い、取り組み、プレーする機会を得られる環境をもっと整えられたら、日本のスポーツ環境は格段に良くなる。「部活だ」「クラブだ」ではなく、自分たちの地域が子どもたちを守り、彼らが育つ環境を作り上げられるかは重要なのだ。時代は変わり続けている。これまでのやり方がすべて正しいわけではない。学校や社会という枠の中で、すべてがはみ出ることなく行われるように、管理されなければならない時代でもないのだ。

ドイツでよく聞くブラックジョークがある。

沈没しそうな船に様々な国の人が乗っている。すぐに飛び降りてボートに移らなければならない。しかし、そう簡単に飛び込めない。そのとき、船長が口を開く。

(残り 2002文字/全文: 3443文字)

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