中野吉之伴フッスバルラボ

目の前の子どもに向き合うことの意味【BOOK情報】

▼金鉱山から金を発見し、泥を洗い流して磨き上げること

過去取材した中で、ミゲル・ロドリゴは子どもの指導をこう例えた。

彼とは数十時間の取材を通じていろんな会話を重ねたが、レベルの高い指導理論と指導力を持ったすばらしいコーチだ。ただ、そう思う理由は高い次元で、レベルの高い選手たちを指導できるからではない。ミゲルは物事の本質を的確に、非常にわかりやすい言葉で端的に説明することができる。だから、彼の指導は国籍も男女も年齢もレベルも問わない。

優秀な指導者は自分の指導を押し付けることだけをしない。目の前にいる選手たちに目を向け、いま彼らに必要なスキルを見極め、即トレーニングに落とし込んでフィードバックする。きっとオシムもそうだったのではないだろうか。

しかし、重要なのはフィードバックだ。ミゲルがすばらしいと思うのも、ここが秀逸なのが大きい。心に、頭に、体に残る指導を高い次元で実践できる。その一つが「本質を的確に、非常にわかりやすい言葉で説明できる」ことだ。

中野も、子どもの指導における言葉の使い方や声のトーンについては、度々口にしている。深く掘り下げたら人間の身体的、精神的な機能としての裏付け、つまり様々な専門家が実証してきた研究結果が説得材料として存在するのだろうが、人間は理屈だけでは動いていない。そもそもすべてが解明されているわけではないのだから、子どもと向き合うなかで学ぶことの方が多い。

※中野の新刊「ドイツの子どもは審判なしでサッカーをする」(ポプラ社)が11月13日に発売

ここを十分理解し、試行錯誤を繰り返して戦っている指導者たちは、理論と人間味というバランス感覚に優れている。そこに知名度は全く関係ない。先日、取材に行った大阪の町クラブにもそういう指導者はいたし、J下部組織の指導者がみんな優秀かといえばそうではない。それは取材をして会話を交わすのでよくわかる。

目の前の子どもに向き合える指導者は感度が高い。
そして、時に鈍感である。

だから、子どもたちもそう育つ。そういう子たちはバランス感覚が育まれる。感度が高ければその時々で多くのことを考えるし、でもうまくなるには試してみないとわからないから、とりあえずプレーしてみる。そうやって失敗と成功を重ねた子どもが一人、また一人と増えていき、コーチの意図するゲームプランを実行できるようになる。

そうなると、目の前の子どもたちと毎回戦う環境へと変化する。コーチはサッカーを、人間を学ばなければならなくなる。それが心地よいと感じられるようになるまでは少し時間を要するかもしれないが、指導者の醍醐味でもある。

目の前の子どもと本気で向き合うことの意味をもう一度考えてほしい。

文責/木之下潤

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