中野吉之伴フッスバルラボ

【GR】ドイツサッカーの地盤がしっかりしているのは 地域にフェラインが根付いているのが大きい

▼ドイツのグラスルーツの在り方とは何なのか。

僕が暮らすドイツにおけるグラスルーツというのは、日常生活の延長線上にある地域密着のクラブを通し、生涯に渡ってサッカーをはじめとするスポーツなどとともに生きる環境だ。

ドイツの学校にもスポーツという授業はあるし、学校対抗のスポーツ大会だってある。レクリエーションという形で《サッカー》《体操》《チェス》《武道》という課外活動もある。だが、日本の学校における《部活》のような活動はない。

それは基本的にスポーツは学校でするものではなく、地域のスポーツクラブで行うものという考え方が昔から一般的だからだ。

クラブはドイツ語で《フェライン(Verein)》と呼ばれ、地域の人々は年間50~100ユーロ(約6500~13000円)の会費さえ払えば、子どもから大人まで誰でも楽しめる。フェラインにはいろいろなスポーツを行う施設も備わっており、それゆえ地域のコミュニティの場としても機能している。

フェラインの在り方は様々だ。スポーツクラブとしていろいろなスポーツが所属している総合クラブの形をとるところもあるし、純粋にサッカークラブとしてサッカーだけの活動を行うクラブがある。

またフェラインはスポーツだけに特化した団体形状ではなく、《音楽クラブ》《チェスクラブ》《射撃クラブ》と市民の興味の数だけ、多種多様に存在しているのだ。

そんなフェラインだが、登録するハードル自体はそこまで高くないというのが実感だ。大まかに次の4点をクリアしていればいいという。

1.最低7人、同じ考えを持つ同士を集める
2.フェライン規約を作る
3.役員をもつ
4.設立議会を開き、その議事録をとる

形状は《営利団体》と《非営利団体》に別れ、《非営利団体》の場合は非課税対象となる。スポンサーによる広告料も半分が控除対象となるため、小さな村クラブであってもスポンサーを募るためのハードルがそこまで高くはない。

僕がドイツの現役時代一番長くプレーしていたクラブのトップチームにおける胸スポンサーは町の肉屋さんだった。いくばくかのスポンサー料に加え、冬と夏のオフシーズンにはそこの肉を使ったバーベキュー大会が盛大に開かれるという感じでサポートをしてくれていた。

肉の味はすごくおいしく、僕ら選手にとっても、バーベキュー大会はすごい楽しみだったことを覚えている。

サッカークラブとして登録されているフェライン(総合スポーツクラブ内のサッカー部門も含む)はドイツ全土で実に24958つもある(2017年ドイツサッカー協会登録)。そして、プロからアマチュアに至るまでのほぼすべてのフェラインがジュニアからトップ、シニアチームまでの各カテゴリーチームを持っている。

日本の《ジュニアサッカー少年団》《ジュニアユースサッカークラブ》といったように、年代別にそれぞれのクラブがバラバラにあるのではない。小さな村でも一貫したクラブ体形ができているのだ。

前述したようにフェラインはドイツ市民にとって欠かせない地域コミュニティの場であり、そのために行政からのサポートも手厚く受けることができるというのは大きい。もちろんドイツでもスポーツを《見る》という関心もあるが、地域の人たちは《する》スポーツへの関心も非常に高い。

そして、ドイツのスポーツ環境におけるすばらしさとは、ブンデスリーガクラブがあったり、人口密度の高い大都市だけが充実しているだけではない。地域の小さな町や村にでも整備された施設や組織があるのだ。

▼ ゲッティンゲン市の取り組みとは?

今回はそんなドイツのスポーツ環境を説明するために、ゲッティンゲン市スポーツ協会会長のクラウス・ブリュッゲマイアー氏のインタビューを参照したい。このインタビュー記事については過去に宇都宮徹壱氏の徹マガ(現「宇都宮徹壱WM」)に寄稿したものをもとに、さらに話を膨らませて加筆修正したものだ。

さてゲッティンゲンという町はブンデスリーガのクラブがあるわけでも、100万人都市でもない。ドイツ中部に位置する人口20万人ほどの学生街だ。サッカークラブではSCゲッティンゲン05の5部リーグ所属が一番上で、他にめぼしいスポーツクラブがあるわけでもない。

それでも街には17000収容の複合スタジアムがあり、立派なスポーツ施設が備わっている。ドイツに一度でも行かれたことがある人は、その設備のあまりの充実ぶりに目を丸くした経験があるはずだ。

と、ここまでドイツのスポーツ事情の素晴らしいことばかりを書いているが、現代のドイツの人たちみんながみんな、無条件で昔と変わらずスポーツを楽しんでいるかというとそういうわけではないのだ。むしろ、スポーツ離れへの危機感を抱きながら、新しい取り組みを考えださなければならない時代にいる意識を持たなければならない。

※12月に中野の著書「サッカー年代別トレーニングの教科書」の一部を抜粋し、コラムとして紹介した

▼ ドイツにも問題はある

僕は、著書「サッカー年代別トレーニングの教科書」の中でこう書いた。

「現代ではグローバル化に伴い、多種多様な選択肢ができている。学校から帰ってきた子どもがランドセルを放り投げて近くの公園に一目散にかけていく姿は、特に都市部では少なくなってきており、その影響は統計学上でも数字として示されている。

ある研究報告によると、今日の子どもたちは1週間に30時間以上テレビやパソコンの前で時間を過ごしているという。結果、子どもたちの多くが健康上の問題を抱えている。

【ドイツの子どもたちが抱える問題】
・姿勢の悪い子ども 50~60
・太りすぎの子ども 30~35
・心配機能に問題がある子ども 20~30
・コーディネーション能力に問題のある子ども 30~40

さらに他の子どもと遊ぶ機会が減ったことで、人間関係や社会性を養う場が失われたという点も問題の一つとして挙げられる。こうした実情を踏まえ、昔は遊びの中で学んでいたことを、学校教育やクラブ活動の枠組みの中で還元する必要がある点を考慮しなければならず、そのあたりを期待してスポーツクラブに我が子を通わせる親も多いと思われる。

だが、先に『教えなければならないこと』が念頭にあり、教え込もうとすると、『習い事』になってしまう。

『社会性が身につくからサッカーをする』ではなく、『サッカーをしていたら社会性が身についていた』という図式が大切で、自然と立ち振る舞いやルール、人間関係が学べる環境を作り上げることが求められている

ここをどうするかが、これからのスポーツ業界に何よりも大切なところだろう。「なるほどね!」と思うだけではなく、どう具現化するかのアイディアがないとただの理想論で終わってしまう。どうすればそうした要素が自然と身につくような環境を作り上げることができるだろうか。

これはどのスポーツやジャンルを問わず、真剣に向き合わなければならない課題だ。

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