中野吉之伴「子どもと育つ」

無料記事:日本のグラスルーツの環境を向上させるには 協会、学校、行政などがネットワークを築くこと。 【1月特集「グラスルーツの環境とは」/ドイツのグラスルーツの在り方02】

▼地域で気軽にスポーツを楽しむには、工夫やアイディアが必要だ。

ただ、それぞれが自分の持ち場でだけ考えて留まろうとしていたら、なかなか生まれてこないものではないだろうか。現状を一歩外に出てみてみる。他の視点から考えてみる。自分だけ、自分たちだけの立ち位置から考えるのではなく、ジャンルやカテゴリーが違っても、共通の目的や目標を持つもの同士で手を結び合うこともできる。ゲッティンゲン市スポーツ協会会長のブリュッゲマイアー氏は真剣な顔で次のように警鐘を鳴らしている。

「ドイツでも、スポーツ離れの傾向は大きくなっています。肥満化や基本的運動活動の不足は明らかに増大化しています。昔であれば普通にできていた運動ができなくなっている。だからこそ、スポーツができる場所を提供するのは大事なことなんだと思います」

スポーツできる場所の提供。

これは、日本スポーツの大きなウィークポイントであることは間違いない。国体用の立派な施設が野ざらしになっている一方で、スポーツをする場所の不足に悩む現場の指導者が数多くいる。サッカーだけではない。場所を作り出すのは難しい。

そうすると、既存の場所を共有できる方法を模索していく方が賢明だ。

その解決方法として、学校施設はやはり大きなポテンシャルを持っている。しかし、施設投資すべてを学校や行政に委ねるのもどうだろうか。例えば、サッカーゴールは普通の学校に1セットしかないと思われる。でも、しっかりしたトレーニングをやるのであれば、それでは足りない。そして、ゴールがなければサッカーのトレーニングにはどうしたってなりきらない。

ゴールへシュートする。
そのゴールを守る。

その中で生まれるアクションがサッカーには欠かせないものだからだ。それならばゴールなどの備品はクラブで購入する、あるいはそうした備品に投資してくれるスポンサーを探す。寄付金を募る。政治家の協力も必要不可欠だろうし、学校関係者との信頼関係も築き続けなければならない。そうした活動はできないものなのだろうか。

いや、できないものだろうかではなく、できるような糸口を探すという考え方のほうが先へ進める。オープンな視野で問題意識を持ち、共に戦う同士との関係を深め、どんどんネットワークを作り上げていく。確かに大変で地道な取り組みかもしれない。でもそうした一歩一歩が間違いなく子どもたちや地域にとって大きな支えになる。

少し補足すると、ドイツのフェライン(スポーツクラブ)の運営は原則として地域住民のボランティアでまかなわれている。専従スタッフがいるクラブもないわけではないが、極めて稀だと思われる。私がこれまで所属してきたフェラインで専従スタッフがいたクラブは一つもない。前回「1月特集「グラスルーツの環境とは」/ドイツのグラスルーツの在り方01」の記事でも「フェラインは地域のコミュニティの場としても機能している」と書いたが、フェラインのようなコミュニティ組織が地域の生活を支えている。だからか、行政からの助成金などもある。ドイツの人には「地域全体が一つになって運営する」フェラインの在り方に共感し、そこに関わることを美徳と思う考えが伝統としてある。

ここで、ブリュッゲマイアー氏の言葉に耳を傾けてみよう。

「人員的には専任スタッフが3人で、あとは研修生が何人かいるというのが現状です。だからすべてを我々が取り仕切るということはできません。重要なのは各スポーツ、各クラブを結ぶネットワークの構築です。

・州協会と我々とのネットワーク
・他の地方協会とのネットワーク
・労働局とのネットワーク
・各クラブとの協力体制
・学校とのサポート体制
・大学との提携

ネットワークは密でわかりやすく結びつくようにすることで、連絡の行き来が非常にスムーズになります。一方通行になるのではなく、相互でコミニュケーションを取りいながら、全体としてより良いものを作り上げていこうという姿勢でやっています。

自分達だけでは何もできません。
人のつながりがないと機能しません。
人をつなげるためのアイディアも必要です。

先ほど研修生がいるといいましたが、あれはゲッティンゲン大学のスポーツ部の学生が来てます。彼らはうちで研修をすることで単位がもらえますし、現場での経験が積めます。うちは彼らのおかげで人材を確保できますし、ここで育った人材が回りまわってゲッティンゲン市のスポーツ環境を支えてくれます」

みんなで支え合う。

そのためには、時に意見を激しくぶつけ合いながらディスカッションする必要がある。誰かが言ったことをただやるだけ、あるいは意見をぶつけることさえ許されない環境では互いに支え合うことはできない。相手の意見にしっかり耳を傾け、その意図を理解したうえで、自分の考えを論理的にぶつける。それに対して相手がまた次の解釈に頭を使う。そうした積み重ねが新しいアイディアの何よりの下地となるはずだ。

「年寄りのいうことは時代遅れ」
「若者は思慮が浅すぎる」

互いが自分たちの立ち位置から動かず、見方を変えず、ただ自分たちとは違うということだけを見ていては理解し合うことなどできない。生まれや育ちが違えば、考え方のベースとなるものが違うのは当たり前だ。

なぜそうした考えが生まれたのか。
その思いを理解し合うためには何が大切なのか。
そのために歩み寄れることは何なのか。
歩み寄ることで生まれるものは何か。

新しい価値観、考えを受け入れるのは簡単ではないかもしれない。だが、一度それを受け入れ、試してみたらこれまで気づきもしなかった新しく、そして素敵な景色が見えるかもしれない。毎回それでうまくいくはずはないし、うまくいく必要もない。でも、そうした試みをしようとしなければ、いつまでたってもそのような経験をすることはできない。

「自分たちは上に立って何かをするところではないです。だからこそ自分たちが間に入ることで可能性を膨らますことが大切だと思っています。スポーツ協会で様々なセミナーや講習会もやっていますが、クラブ関係者は格安で参加できるようになっています。これは州協会から金銭的サポートももらえているからです。クラブ内だけだと、自分たちの狭い世界の中でだけ話をしてしまうためにアイディアが煮詰まることが多々あります。縦関係を築くんじゃないです。自分達がそっと、側でサポートすることで彼らの支えになるのがいい関係ではと思っています」

ブリュッゲマイアー氏はこうも言っている。

より良いものを、より合うものを、よりうまく活用するために。殻をこじ開けるのには勇気が必要かもしれない。小さな世界で縮こまっていないで、勇敢に足を踏み出そうではないか。最初は半歩でいい、いやすり足だっていい。ちょっと足を入れてまた引っ込めて、また次の時にもう一度という形だっていい。

失敗? 期待外れ? 見当違い? 結構なことではないか。それでもミスを恐れていたら先には進めない。

▼1月6日に一時帰国し、早々にサッカークリニックを行った。

日野市サッカー連盟主催で子どもたちを対象にしたサッカークリニックで、最後に質疑応答の時間を設けた。だが、最初はなかなか手が挙がらなかったので、私はこう話しかけた。

「みんなの前で発言するのは怖いと思う時もあるよね。せっかく言ったのに変な目で見られたり、怒られたりしたら嫌だもんね。でもね、どんな意見や質問だってそれぞれに価値があると思うんだ。言わないとわからないことだってたくさんある。

『なんでそんなことを聞くんだろう?』と思う意見や質問が出てきたとしても、そのことでわかることだってある。『そんなのあたりまえじゃん!』という話が出てきたとしても、『それだけそのことが当たり前で、だからやっぱり大切なんだ』って確認できることもある。それって、大事なことだと思うんだ」

話をすると、少し時間をおいて、1人の子がスッと手を挙げた。そこからはいろんな子がどんどん手を挙げてくれた。最後には「代表であいさつをお願いします」という運営側からの提案に、積極的に立候補してくれた子がいた。

「最近の子はおとなしい。自己主張しない」

そう嘆く大人の声をよく聞く。そうかもしれない。でも、そうでないのかもしれない。おとなしいのではなく、おとなしくさせていないだろうか。自己主張がないのではなく、自己主張を奪っているのではないだろうか。

グラスルーツというテーマで考えた時に、そうした子どもたちが子どもらしく育ち、自分たちの主張を受け止めてくれる大人がいて、その中で育った子どもたちがまた後進とふれ合っていく、そんな地域社会を作り上げることができたらすばらしいのではないだろうか。

前回の「ドイツサッカーの地盤がしっかりしているのは 地域にフェラインが根付いているのが大きい。」を含め、今回もその事例として「ドイツのグラスルーツの在り方」について書かせてもらった。私も地域社会の創造のためにできることを、これからもずっともっと模索していきたいと思う。

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