ザマー「サッカーにおいて大切なのは正しい選手を正しいポジションに、正しい手段で正しい処置で導いていくことだ」
▼マティアス・ザマーを知っているだろうか?
選手時代には、1992年にシュツットガルトで、そして1995、1996年にはドルトムントでブンデスリーガで優勝を果たした。その翌年の1997年にはヨーロッパ・チャンピオンズリーグの決勝で、当時最強とされていたユベントスに3対1で下して見事に優勝している。ドイツ代表としては1996年にヨーロッパ選手権で優勝をした時のキャプテンを務めている。ディフェンダーでありながら、同年にはヨーロッパ最優秀選手にも選ばれた。ディフェンダーで同賞を獲得したのはフランツ・ベッケンバウアー、ファビオ・カンナバーロを含めて3選手しかしない。
ドイツにおける最後の本物のリベロだろう。
「リベロ」というポジションを確立した、ベッケンバウアーの系譜を担う存在がそう多くいたわけではない。ザマーは攻守ともにドイツの心臓だった。当時「3バック、マンマーク、縦一本」のサッカーが世界レベルだったのは、ザマーという「一人でゲームにコントロールも変化もつけることができ、さらに試合を決定づけるプレーができる選手がいたからだ」といっても過言ではない。
技術レベルが高いのはもちろんインテリジェンスがあり、試合の流れを読むことができ、誰よりも戦うことができる選手だった。正しいという信念にはどこまでも正直で、でもダメなことにはしっかりダメだと言える。リーダーシップがあり、批判することができ、批判を受け入れることができる。現実的な見方ができ、理想的な将来像を描くことができる。まさにドイツサッカーが理想とする選手だった。
だが、その分ザマーへの依存度は非常に強かったというのも事実ある。現に膝の負傷で、彼が引退してからは誰もこのポジションを支配できる選手が出て来ず、同時にドイツサッカーの失墜も加速度を増していった。そのまま穴を埋めようにも、それだけの才能を持った選手が簡単に出てくるわけもなく、かといって全体的なやり方を変えようとシフトチェンジをすることもできなかった。2000年、ヨーロッパ選手権のグループリーグ敗退はそうした悪い流れの先に起きた悲劇だった。
ザマーがすごかったのは選手としてだけではない。
引退後、翌年の2000年にプロコーチライセンスを所得すると、わずか33歳にしてドルトムント監督に就任した。初年度のシーズンを3位で終えると、翌シーズンにはチェコ代表のコラーとロシツキー、ブラジル代表のアモローゾといった個性派ぞろいの攻撃陣を操舵して見事にリーグ優勝を成し遂げた。これは現在も最年少優勝監督だ。今でこそ、若手監督の存在は珍しいものではなくなったが、当時では驚きだった。
その後、2006年からはドイツサッカー協会のスポーツディレクターとして、タレント育成プロジェクトで次々と様々な大きな仕事をこなした。
(残り 4205文字/全文: 5365文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ