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中野吉之伴「子どもと育つ」

教える、指導する、伝える、導くために何が必要で、何を身につけるべきか。指導者は考えを公開し、意見をもらい、磨き上げていく方がプラスになる

本田圭佑の指導者ライセンスに対するつぶやきから、前回「育成指導者がサッカーを教えられないようでは問題外。でも、サッカーしか教えられない指導者は失格」に続き、指導者を再考している。

▼元プロサッカー選手にライセンスは必要か?

この点についてだが、以前「footballista」の企画でドイツサッカー協会の指導者育成インストラクター元主任のフランク・ボルムートにインタビューをしたので、その内容を例に挙げたい。その企画記事「ドイツの指導者育成教官に聞く『ラップトップ監督』の育て方」を読むと、「なぜ、何のためにライセンスが必要か」がよく理解できる。まだ読んだことがない方はぜひご一読いただきたい。特に、私が興味を持ったのは次の質問に対するボルムートの答えだ。

中野「ドイツではプロコーチライセンス(日本でいうS級相当)の講習会を受ける条件として、A級ライセンス所得後に一年以上ブンデスリーガ(1〜3部)コーチ・監督、6部リーグ以上の成人チーム監督、U19・17のブンデスリーガ監督、女子ブンデスリーガの監督といったポストでの『実績』が必要になります。こうした措置は、なぜあるのでしょうか?」

ボルムート「いい選手がいい監督になるには、長い道のりが必要だと考えている。選手と指導者の能力は分けて考えなければならない。元プロ選手も、プロ指導者として最初から学ぶ必要があるわけだ。そして、何より監督としての実戦経験がなければならない。指導者の育成に必要なのは、講習会やセミナーでの理論習得や指導実践の向上、さらに現場での経験とのコンビネーションなんだ。監督としての経験がない人間に育成のチャンスを与えるつもりはないんだ。講義室で話を聞くよりも、現場に立つ方がよっぽど学びになる。どのように知識を生かすのか。学ぶことではない。学び方が大事なのだ」

プロコーチライセンス所得のための条件設定は、元プロ選手が監督としての経験を積む機会を作るための措置である見方がそこにはある。そして、選手経験の少ない指導者としても、そのポジションで起用されるくらいの人材でなければプロライセンスを取るにふさわしいとは認められないという厳しい線引きだ。自称プロ指導者が乱立して関わる人が多ければ多いほど、競争力が増していくということにはならない。競争には健全さがなければならない。チーム内のポジション争いもそうだし、ポストをめぐる争いもそうだ。だからその基準となる線引きはあるべきだろう。いい指導者を増やすために必要なのは指導者としての素質を見出し、伸ばしていく環境を整えていくことが重要。そしてそこには相互からのアプローチが欠かせない。指導者ライセンスを受けられる人数を制限するのであれば、その選抜・選出方法も健全でなければならない。指導者としての才能があり、学ぶべき人がスムーズに学べる環境を作ることも、もっと整理されていく必要はあるだろう。

ライセンス講習会には、その国におけるサッカーへの共通理解を促し、深めるという役割もある。サッカーは多様的で自由なものだ。いろんな取り組み方ができる。特に日本という国は立地条件の特殊性からも様々な国へ興味を示し、いろんなアプローチをしている。

・ブラジル
・アルゼンチン
・ドイツ
・イタリア
・スペイン
・フランス
・オランダ
・ベルギー
・イングランド
・メキシコ…etc

参考にできる国を挙げたらどんどん出てくる。最近では、アイスランドやクロアチアも入ってくるだろうか。それぞれのやり方を、本当にそのまま取り入れて独自性を貫き、例えば地域ごとにその特徴が色濃くなり、それぞれがぶつかり合うのであれば、日本の中で世界サッカーの縮図が見られるというすごくおもしろい状況になる。

と、なるはずなのだが、現状は様々な国のサッカーを研究してあれもこれもと手を出した結果、それぞれの国の背景を無視して表面的に良さ気なものだけを取り入れた継ぎ接ぎ状態になってしまっていないだろうか。それでたどり着いた先が「ジャパンズ・ウェイ」。どこからどこまでがオリジナルなものなのか。現在はわからない。いろんな意味で、日本風な道の歩き方だ。

となると個人的に思うのは、共通理解として持ち、講習会などで学ぶべきはどの国でもどの地域でも共通言語としてあるワールドスタンダートのサッカーのところではないだろうか。

1対1を激しくとか。
パススピードを速くとか。
運動量を多くとか。
切り替えを早くとか。
正しいポジショニングを学ぶとか。

そうしたサッカーのメカニズムを知ることは別にトレンドでもなんでもなく、いわば常識の範疇だ。それは「どこで、どんな指導者のもとでやろう」ともブレてはいけないところの当たり前のことなのだ。ドリブルサッカーをやり通したけど、次のステージではそれができる場所がないからダメだ、というのは本末転倒な見方であり、ドリブルを強調したサッカーをやっていたとしても、パスの受け手と出し手のコミュニケーションはなければならないし、守備のポジショニングからスライドの仕方はわかっていなければならない。

「どんなサッカーを指向しようとも、これだけは忘れずに大事にしましょう」という基本を徹底する。そのベースのところさえブレなければ、あとはそれぞれの好みでどんどん海外のサッカーをマネてもいいし、独自路線を突っ走ろうとも構わないと、私は思う。

極端な話、元プロ選手で様々なコネクションを持っていてという人物であれば、独自にいろんな指導者のところへ弟子入りし、ライセンス講習会で学ぶ以上の知識を仕入れ、経験を積むことだって十分可能だ。例えばの話だが、日本でS級ライセンス講習会を受講するよりも、ペップ・グアルディオラのもとで1年間研修を受け、毎日密着していろんな話を直で受けられるのであれば、どちらが指導者としてプラスに働くのかは圧倒的に後者だろう。それでもライセンスは必要なのか?

あるいはCLに何年も出場している選手の経験は間違いなく別格だ。そうした場で戦ってきた選手の持つ立ち振る舞いから学ぶことはとても多い。私自身も体験がある。A級ライセンス講習会で元ドイツ代表FWトーマス・ブルダリッチと一緒だったが、講習中の指導実践で彼から「キチ、お前は技術があってスピードがある。勇気をもって挑戦していけ!」と声をかけられたときはすごくうれしかったし、気合が入った。実際にその後の自分のプレーはとても躍動感があったと思う。プロまで上り詰めた選手時代の経験がマイナスになるなんてことはない。

でも、だからライセンスはいらないというのはまた別問題だ。むしろその経験の活かし方を学ぶための場としてライセンス講習会は機能しなければならないし、選手サイドからも「そのすごい体験ををライセンス講習会に還元してほしい」と思う。S級ライセンス講習会がそうした情報を出し合う場になってきたら、相乗効果ですごいディスカッションも生まれるのではないだろうか。実際にドイツをはじめサッカー強国では、様々な立場からのディスカッションによる効果が大きく出てきている。プロだから、アマだから、大人のサッカーだから、育成サッカーだからなんて小さい話をしてる場合ではないのだ。そもそもそうした場で自身のサッカー哲学をほかの指導者に認めさせることができない人が、指導現場でどうやって伝えていくことができる?

情報は隠してもそこまでメリットはない。

それよりも公開して、相手の意見をもらって、さらに磨き上げていく方が間違いなくプラスになる。「ライセンスは不必要」にするのではなくて、ライセンスを取るために学ぶ場を、必要性の高い場として自分たちで築き上げていく方がおもしろいではないか。

現在のライセンス制度のあり方、将来への取り組み方、全国のネットワークのつながり方。改善点はまだまだたくさんあるだろう。だが本来それはいいことなのだ。反省して、分析して、作り替えていけばいいだけだ。どの国もそうしている。ドイツを例に取れば、毎年のようにライセンス講習会の内容はブラッシュアップされていく。他の国もそうだろう。日本でそれができていないのであれば、できるような空気感を作り上げていかなければならない。それが協会の仕事だと思う。難しいのは承知している。でも「だからやらない」のではなく、「だからやらないといけない」。

教える、指導する、伝える、導く。

そのために何が必要で、何を身につけなければならないのか。考えれば考えるほど、非常に難しく、知れば知るほど、奥が深い。だからこそ、その取り組みはスリリングで楽しいものだ。教え方を学ぶことは新しい発見の連続で、好奇心をとても刺激される。国によって考え方もやり方も違う。国外との比較だけではなく、国内でだって地域によって全然違う。つまらないなんてことは何一つない。

指導者でいられることはすばらしいと思うのだ。前回のコラムで「指導者は成ろうと思えば誰にだってなれる」ということを書いた。偉ぶろうと思えばいくらでも偉ぶれる。知ったかぶりだっていくらでもできる。でもね、誰でも、どんなきっかけであれ、どんないきさつであれ、一番はじめに「よし、指導者をやってみよう」という覚悟を自分なりにしたはずだ。どんなレベルであれ、どんなカテゴリーであれ、「選手たちが成長できるように一生懸命やってみたい」という思いを抱いていたはずだ。そして、一番最初の練習前にはすごく緊張して、その練習後には言葉に表すことができない充実感があったのではないだろうか。

「指導者ってすごいな。もっといい指導者になりたいな」

だから、その原点を思い出してほしい。私にはいつでも思い出せる原風景がある。いくつもある。振り返れる体験がある。語り合える仲間がいる。いつだって、いつまでも大事にしてほしい。そして、その思いを捻じ曲げないように気をつけてほしい。

「子どもたちのために」
「彼らの将来のために」

そうした言葉をつづる指導者の方をたくさん知っている。素敵な志だと思う。でも、その言葉を重荷にしたり、重荷にさせたりしてはいけないのだ。その言葉で視野が狭くなったりしてないだろうか。考えが凝り固まったりしてないだろうか。どんなに立派な思想であっても、悲壮感があったら窮屈になってしまう。「これだけの思いでやっているんだから、お前らも全力でやれよ」。それは好意の押し売りだ。そういうことではないではないか。

「指導者であることはそれだけで喜びだ」と、私は思っている。サッカーを通じて子どもたちと関われる、彼らの成長を間近で見られる。感謝でしかないではないか。だから指導現場に立てるということは、自分のためでもあるという思いを忘れてもいけないのだ。彼らの喜びが何よりという思いの底にあるのは、成長過程のど真ん中で一緒に素晴らしい体験をすることができるからで、それは他の何かと比べ物にならないほどかけがえのない輝きがあるからだ。その心の声にうそをついてはいけない。

そうした視点で、まわりを見渡してみてほしい。すばらしい指導者がたくさんいるではないか。その人は別に有名なJクラブや強豪街クラブで監督をしたことはないかもしれない。ジュニアの大会でタイトルを取った経歴なんてないかもしれない。ジュニアユースで全国の舞台に言ったこともないかもしれない。就学前の子どもを相手に遊んでいるような人かもしれない。でもその人の周りには、その人のチームにはまばゆい光がないだろうか。子どもたちが、保護者が、指導者が無理することなく成長していくクラブがないだろうか。

「Jリーガーを輩出したクラブ」「全国連続出場」というわかりやすい成功例にしか答えを見出せないクラブや指導者よりも、そうした目立つことはなくとも健やかな活動をしている指導者やクラブへの正当な評価がされるようになってほしいと願っている。日本はサッカー文化が成熟してないなんて嘆くよりも、すでにすばらしい活動をしているクラブや指導者を大切にしていく方がよっぽどいい。私はそう思っている。

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