中野吉之伴フッスバルラボ

ドイツに住んで15年以上が経った今考えてみる「海外修行はありか、なしか」

月曜日のコラムを「一身上の都合」でアップできなくて申し訳ありませんでした。

つい先日、「期日を守ってアップしないと」と話したばっかりだったので、「舌の根の乾かぬ内とはまさにこのことか」と感じた人たちもいただろう。まさにその通りだ。なので、せめてどんな都合があったのかをお伝えしたいと思う。

今回の「一身上の都合」とは、家の鍵の盗難にあってしまい、その対策に追われていたからだ。海外生活も18年を数える。いろんな経験をしてきたので、何があっても大したことないと言えるくらいのものを積み上げてきたつもりだ。でも、さすがに盗難沙汰は初めてのことだった。

カギの盗難・紛失はドイツで35分に1回というほど頻繁に起こっているらしいが、その頻度に反して事後処理が非常に複雑で困難なものがある。うちは8世帯が一緒の入り口を使うアパートメント形式の家に住んでいる。いわゆる、賃貸だ。盗難にあったカギはアパートメントの入り口と家のドアに共通のカギになっている。盗難・紛失をした場合、大家や持ち主はそこからの二次被害を避けるためにカギのシステムそのものを取り換える。一軒家であれば自分のドアだけを買えればいいが、アパートメントの場合はメイン入り口を他の家の入り口のカギと共通使用するもののため、システム全体を取り換えなければならない場合がある。ドイツにおいてそれは当事者が背負い込むことになるケースが多い。今回の件でいうと、私がそれに当てはまるわけだ。

カギ一つを取り換えるだけなら多少の費用で何とかなる。だが、カギシステムを大幅に取り換えるとなるとシャレにならない額になる。ネットで前例を調べれば調べるほど不安になる。一応、保険には入っているので大丈夫なはずなのだが、解決するまでは気が気ではない。警察に行き、報告書を作成してもらい、管理会社に連絡を取り、大家とコンタクトを取る。保険会社の書類を読み返し、情報を集める。逃げられるものなら逃げたい。

ちなみに、今年は厄年だ。厄年のせいにするわけではないが、今年は本当にいろんなことがよく起こる。それも例年であれば一年に1回レベルの良くないことが一か月に一回、あるいはそれ以上の頻度で襲ってくる。ドイツにいても追いかけてくるものなのか。確率論で逃げたいが、それで何らかの答えが出ても現状の解決には結びつかない。

 こうした実の内話を明かしていると、先日ネット上で見かけたある論争にもつながるテーマだと、フッと思った。

海外修行はありか、なしか。

「海外に長く住むと、日本を下に見だすことがある」
「海外に出たらおごり高ぶったり、卑屈になったりしてしまうことは普通だ」
「いや、そもそも海外に行くことをそこまで重く考える必要はない」

いろんな意見がある。どれも実際にあることだし、だからとどれもがすべての人に当てはまるわけでもない。海外とひと口に言っても、世界にはいろんな国と地域がある。いろんな人々といろんな考え方がある。だから、「いい」「悪い」で判断するような話ではないし、「合う」「合わない」で分けられる要素でもない。

こちらでの暮らしは幸せだと思っている。

でも、それが「ドイツ」だからとは言えない。ドイツにだっていろんな場所がある。同じ町でも様々な地域がある。同じ地域でも異なる隣人がいる。子どもたちが通う小学校を例にとってみても、彼らの通っている小学校はとても合っているし、仲のいい友達もたくさんいるし、親切にしてくれる先生もいる。一クラスの人数も20人弱で、家族的な雰囲気があって居心地がいい。でも、昨年卒業した長男のクラスと今2年生の次男のクラスとではまたテイストが違う。その違いを発見と捉えるか、違和感と捉えるかで大分見方も変わってくる。

環境に順応することが大事なのは間違いないが、その環境が自分の価値観や解釈で追いかけられる場所なのかは考えるべきポイントなのかもしれない。そして、順応さえできれば大丈夫、というのが答えというわけでもない。私はどこまでこちらの生活や価値観や習慣に順応してきたのだろうか? いまも不可思議なことはたくさんある。順応したというより、距離感をつかんだという方が正確な気はする。無理をして我を出そうとしたりはしない。でも、必要な時にはバッと出る。オッと思わせる。そうした立ち振る舞いは自然と身についてきたなと感じている。

例えば、こちらに来てからよく言い争いをするようになった。でも、終わった後は後腐れない。この前も池上正さんが主宰した日本人指導者のドイツ研修に同行し、一緒にボルシアMGとレバークーゼンの試合を見に行った時にひと悶着があった。自分たちの前の列にいたホームのボルシアMGファンの17歳ぐらいの少年が、なかなか攻め切れない展開にイライラしたのか、立ち上がって試合を見始めた。後ろに座っていた人がトントンと叩いて座るようにジェスチャーで伝える。「うるさいな」と振り払って座ろうともしないので、スッと立ち上がって最初は静かな声で、「座ってくれないか? 後ろの人が見えないだろう?」と頼んだが、やっぱり聞く耳を持たない。なので、次は「邪魔になっているからすぐに座れ」と強めに言う。

「座れないだろ、この展開で!」と返して来たら、「座るのはすぐにできるだろ!」と言い返す。しばらくしたら渋々ながらも座り出した。口ではブツブツと文句を言っていたが、その後一度も試合が流れている間は席を立たなかった。次に立ち上がったのは、ボルシアMGが待望の先制ゴールを決めたとき。顔の前に両手でガッツポーズをする彼を見たら、さっきまでのいざこざはふっとんだし、良かったなと微笑ましく思えていた。言いたいことは言う。でも、それを後まで引きずらない。お互いの考えはどこかでちゃんと尊重する。そういうコミュニケーションがとれていると、相手のミスも許せるようになる。日本を出ると、そういうシーンが思っている以上にたくさんある。それにいちいち激怒していたら気が持たないし、だからとすべてを受け流していたら、距離感をつかむことはいつまでたってもできない。

個人的に思うのは「日本にいたら経験できないワクワクがある」ことをポジティブに捉え、いろいろな騒動や苦難を「笑いのネタができた」くらいに捉え、それを自分の成長につなげられるのであれば、怖いもの見たさくらいの感覚で外の世界に飛び出すのは全く問題ないと思う。最初はみんなそのくらいの思い切りで飛び出してきたりする。甘く見て足をすくわれて転ぶこともあるだろう。思った以上の大ごとになってしこたま凹むこともあるだろう。どれだけご立派な覚悟や目標や将来像を描いてきても、全くイメージ通りにいかないほうが普通なのだから。でも、大体は何とかなるものだ。

私も最初は2年計画のつもりだった。

高校でサッカーを始めて、レギュラーになったこともない男の子がちょっと本場のサッカーをかじることで何かを知りたいと思ったくらいのものだ。もちろん、当時はすんごく真剣に考えたし、自分なりの目標や責任というものも持っていた。

「一年間必死にドイツ語をやって、2年目に必死にサッカーを学んで日本サッカーを変える仕事がしたい」

そう思っていた。でも、実際に来ると思っていたことは何も起こらないことにすぐ気づく。これまで常識だと思ったことすべてが覆されるのは当たり前だ。日本の大学で4年間ドイツ語を頑張ってから渡ったつもりだった。でも、大したことないレベルだった。ダメだ。ドイツ語だけでも一生懸命集中して取り組んでもある程度のレベルになるには最低2年間は必要だ。サッカーのことはその後だ。2年以上いるとなるとビザが必要になる。学びたいことがたくさんある。大学に入って学生ビザをもらえるようになろう。ドイツ語の試験を受けて、大学に通った。次は何ができるだろう。サッカーの勉強も始めたいな。指導者ライセンス講習会に申し込みをしてみよう。当時はネットの情報もそこまでなかったので、電話をかけたり、手紙を書いたりして、とにかく自分から動いて情報を取り寄せた。

大変だったんだろうな。他人事のようだが、今振り返ってそう思う。でも、思い返すと、そうした一つ一つの試みがすごく新鮮で、いつもドキドキ、ワクワクしていた。常識ではない常識と向き合う。それを「おもしろい」と思い、「これはどうなんだ?」と好奇心をくすぐられて、「もっとこんなこともできるんじゃない?」「そのためには、もっとあの分野について勉強もしたい」と可能性を広げてきた。

留学センターの斡旋も受けず、来た当初は友達も知り合いも一人もいなかった。部屋だってなかった。ドイツに来てからの2か月はユースホステル暮らし。しかも、連泊は最長7泊だったので、5日間は町中の、週末の2日間は郊外のユースを行ったり来たりしていた。ジプシー生活だ。重たい荷物をいちいち持って歩くのがおっくうになり、駅にある大型コインロッカーに入れて置いたら、数日後に撤収され、罰金を取られて途方に暮れたこともある。

単位が足らず、大学から除籍書が届き、就労ビザへの切り替えで9か月間仮ビザで過ごしていた時期もあった。そんなときでも、何とかなるさと思っていた。やるだけのことをやってそれでダメならしょうがない。向上心と向学心と好奇心。それがあればあとは行けるところまで突っ走っていくだけだ。常にうまくいったわけではない。家に引きこもった時期もあるし、ドイツのすべてがいやに見えたり、日本のすべてをダメに感じた時期もある。

海外に出たことがある人なら『常識』通りにいかないことに慣れることができず、一人閉じこもってしまったという経験もあるのではないだろうか。あるいは、気がつくと慣れないもの同士が集って、慰め合おうとする。それ自体は何ら悪いことではない。愚痴りあう場所や時間だって大切だからだ。膿はため込むのがよくない。私もそうした。苦しい時期に相談に乗ってもらったり、話を聞いてもらったことでまた新しい活力が沸き上がってきた。でも、そこで歯止めが利かなくなってしまう人もいる。その空気に甘えて、自分の弱さを乗り越えられずに、回りに嫌気がさし、現地の人を悪く言い出す人も出てくる。

「あいつらは何にもわかっていない」

自分ができない、知らない世界を受け入れられない。でも日本には帰らない。悲しい話だ。あるいはアンテナ全開で、その国のすべてを受け入れてしまう人もいる。その国のすべてを肯定し、すばらしいものとあがめ、そのすばらしいものに接している自分が素晴らしい存在だと勘違いをし、結果として日本は大したことない国だとさげすんでしまう。残念ながら、そうした人をたくさん知っている。今どうしているか、それは知らない。その後、心を入れ替えてすごいことをしているかもしれない。何かがきっかけでまた、止まっていたり、逆回転していた時計の針が正常に動き出したりすることもある。でも、いつまでもそこから抜け出せない人がいるのも事実だ。肌感覚という曖昧な図り方になるが、相当数いるはずだ。

なぜ彼らは外の世界に出てきたんだろう。何を求めていたんだろう。どちらかに偏ることしかできなかったんだろうか。理想郷がそこにあるとでも思っていたのだろうか。

頭の中に夢のような世界を描いてしまう。そう思ってしまう。でも、いつか気づくときは来るのだ。夢みたいな世界なんてない。でも、夢のように世界と向き合い、生きることはできる。それは私たちがどのようにこの世界を受け入れ、解釈し、向き合うかで大きく変わってくる。夢みたいな世界なんてなくて、でも夢のように生きていける世界を自分たちが作っていくことはできるのだ、と。

日本の現状を知らなければ環境を改善することはできない。

でも、外の取り組みを知らないとかじ取りの方向を見誤ってしまうこともある。サッカーの本質はグラウンドから生まれる。でも、理論がなければそこからの発展も生まれない。「これ、無理じゃない?」という理論だってやってみたら以外におもしろかったり、意外なほど本質とマッチしたりする。

どの国にだっておっとりしている人がいれば、せっかちな人はいるし、怒りっぽい人がいれば、我慢強い人がいる。日本と海外。実は、そんなに大きな違いなんてないのだと思う。でも、似ているようで全く違うこともたくさんあったりする。わかるようでわからない。わからないようでわかる。その感覚はいつでも新鮮で貴重なのだ。と、いろいろ書いてきたが結局のところ海外に出ようか迷っている若い人がいたら私はこう声をかけるだろう。

「楽しいよ。自分で自分の道を作ることができるんだから」

そこなのかなと思う。そして、私もまだその道作りの途上にいる。だから、歩みを止めるつもりは全くない。

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