中野吉之伴フッスバルラボ

息子が所属するU9のアシスタントコーチとしてできること

ドイツで15年以上サッカー指導者として、またジャーナリストとして活動する中野吉之伴。昨年2月に突然「SGアウゲン・バイラータール」のU15監督を解任された。新たな指導先を「どこにしようか?」と考えていた矢先、息子が所属する「SVホッホドルフ」からオファーが舞い込んだ。さらに元プロクラブの古巣フライブルガーFCからもオファーを受ける。そこから最終的に決断したのは、2つのクラブで異なるカテゴリーの指導を行うことだった。この不定期連載は、息子が所属する「SVホッホドルフ」のU9でアシスタントコーチとして感じた日常を書き綴る「子育て奮闘」である。

文・写真=中野 吉之伴

▼息子のチーム「ホッホドルフ」でコーチをするのは楽しい。

でも、大変なこともたくさんある。特に、最初の課題は我が子との関係だった。息子たちのチームの他のお父さんコーチの様子を見ながら、気をつけようとは思っていたが、実際にやってみると確かに難しいなと思う場面が連続してやってくる。

次男チームの監督を務めるバスティアンもお父さんコーチだ。思ったことをすぐ口にしてしまうタイプできっちりサッカーをさせたがる。とはいえ、8歳の子が言われたことすべてを理解するのは難しい。わからないことの方が多い。試合中にゴチャゴチャした状況になると、どうしていいかがわからなくなってしまう子ばかり。それはそうだ。それが普通だからだ。

例えば目の前に自分がマークする相手がいて、ボールが見えていて、ゴールがどこにあるかはわかっている。そのくらいのシンプルな状況だったら、やるべきプレーはわかる子たちだ。でも、試合の流れで急にまわりに何人も相手がいたりするときがある。

どの選手をマークするの?
待つの?
あたるの?

一瞬、パニックになる。迷うとプレーが遅くなるし、止まってしまう。でも、外から見ている大人にはその葛藤がわからない。子どもたちは必死だ。彼らは監督の言うとおりにすることが正しいと思っているし、そうすることでもっといいプレーができて、試合にも勝てると信じている。言いすぎないようにはしようとはしているようだ。話を交わしているとそのあたりのことに気を配っていないことはよくわかるし、口から飛び出そうとなる言葉を必死に抑えようとしている姿をみることもある。

ただ、他の子どもにはまだセーブする気持ちが、我が子が同じようなミスをすると我慢が抑えられなくなってしまう。息子のマティが前にボールを持ったフリーの選手がいる場面で、自分のマークが近くにいるけど、迷った挙句にボールを奪いに行き、結果としてパスを出されてピンチを作ってしまった。

「何で当たるんだ!」

怒鳴られる。シュンとする。次は当たらないでおこうと思う。実際に待って自分のマークを追った。すると、フリーの相手のシュートが決まってしまう。バスティアンがまた沸騰する。

「何で当たらないんだ!」

また怒鳴られる。言われた通りにやったのに。それでもがんばる。褒めてもらいたいから。それでもサッカーが好きだから。

子どもはいつだって一生懸命だ。だから、「そんなこと言われたらかわいそう」って思う気持ちも本物だ。でも、お父さんコーチの多くは自分の気持ちの葛藤に苦しみながら戦っていることもわからなければならない。だからやっていいわけではないけど、だからできないとダメと思うのもまた違うのだ。お互いがまだ成長期にいるという意識を持つことが大切なのだと思う。

バスティアンも試合後には反省している。「言わないようにしているけど、つい…」。この「つい」が曲者だ。自分で意識的に抑えようとしない限り、直せるものではない。抑える代わりに気を散らせるための手段を身につけたり、あるいは受け止め方を変えるようにする。大変なのは、私もわかる。でも、だからこそ、父親のすごさの見せ所でもあるのだ。

「がんばろうではないか。これほど困難なテーマに我々は向き合っているんだぞ」

以前このコラムでも書いたが、我が子への感情は別物だ。歯がゆい思いになるのは愛情の裏返しとも言えるし、信頼・期待をすごくしているからでもある。でも、それが子の負担にならないように気を配らなければならない。言われたとおりにできると思うのがそもそもの間違いなのだから。

そうした話をバスティアンにするようにしている。彼自身の努力もあって、少しずつ怒鳴る頻度は減ってきている。監督はバスティアンだから、彼の練習メニューを尊重する。自分から「こっちの方がいいよ」とは言わない。バスティアンが持ってくる練習メニューをより楽しく、より効果的に行えるようにサポートするのがこのチームにおける私の役割だ。

そして、このチームにおいて自分の立ち位置は緩和剤になることだと思っている。バスティアンが引き締め、私がゆるめる。練習中は集中する、休憩中は思いっきりふざける。ケンカがあったら話を聞く。そういう役割分担ができた方がお互いにやりやすい。

この前の練習で、最後のミニゲームの時にちょっと激しい競り合いで一人の子が泣きだした。マティだった。もう一人の子は「ファウルじゃないよ」と言っている。確かに正当なチャージでの競り合いだったが、でもファールではないから問題ないわけでない。仲間が泣いているのに、自分の正当性を主張することが正しいとは思わない。私はみんなにも聞こえるように大きな声で話した。

「ファウルでなければ何をやっていいわけではないんだ。お互いに思いやりがなければならない。みんな一生懸命にサッカーをやっていたら、ケガをしてしまうこともある。でも、ケガをしていいわけじゃないだろう? そうした時は一度落ち着こうよ。味方でも相手チームでもケガをした子をいたわって、深呼吸して、『よし、またここからがんばろう』と気持ちを入れ替えよう」

子どもたちはうなづいて、倒れている子に手を差し伸ばしていた。マティがFKを蹴るところからミニゲームを再開ということに。涙をぬぐってグッと顔を上げたマティを見て、私はその場から離れようとした。と次の瞬間、直接ゴールを狙ったそのシュートがピッチを去ろうとしていた私の背中に見事直撃。「ぬぉあああ」大げさに倒れる私。そんな私の様子を見て笑い出す子どもたち。振り返ると「わざとじゃないよ」と両手を動かしながら、でも笑いをこらえているマティがいた。

「おい、助けてくれるんじゃないのか?」

そういいながらも私も笑っていた。こういう空気感がいいじゃないか。本気でサッカーできて、感情をぶつけられて、感情を抑える時間があって、そして笑顔があって。

何もしなくていいなんてことはない。でも、何かをしなければならないなんて義務があるわけじゃない。「人間性が」とか、「社会性が」なんて押し付けは重荷にしかならない。お互いを大事にし合う。そこで生まれてくるものが本物なのだと、私は思うのだ。

連載【子育て奮闘記】

vol.1僕、息子のチームでコーチを始めました

vol.2息子が所属するU9のアシスタントコーチとしてできること

vol.3息子の仲間へのポジティブな声かけに助けられたこと

vol.45人制から7人制に変わって見えた、子どもたちの成長と課題

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