中野吉之伴フッスバルラボ

息子の仲間へのポジティブな声かけに助けられたこと

ドイツで15年以上サッカー指導者として、またジャーナリストとして活動する中野吉之伴。昨年2月に突然「SGアウゲン・バイラータール」のU15監督を解任された。新たな指導先を「どこにしようか?」と考えていた矢先、息子が所属する「SVホッホドルフ」からオファーが舞い込んだ。さらに元プロクラブの古巣フライブルガーFCからもオファーを受ける。そこから最終的に決断したのは、2つのクラブで異なるカテゴリーの指導を行うことだった。この不定期連載は、息子が所属する「SVホッホドルフ」のU9でアシスタントコーチとして感じた日常を書き綴る「子育て奮闘」である。

文・写真=中野 吉之伴

▼12月14日、U9はクリスマス会を開き、年内の活動を終えた。

その後、冬休みを含めて丸々1か月ほどの休みをとった。子どもたちは思い思いに楽しい時間を過ごしたのだろうか。家族でゆっくり遊んだり、実家や親せきの家でお祝いをしたり、友達を招いてパーティーをしたり、あるいは一人でのんびりしたり。やはり子どもでも大人でも、選手でも指導者でも、体をいたわり、心を安らげ、頭の中をすっきりさせる時間があるといいなと思う。

1月に入ってからは2週間に一度グラウンドの隣にある体育館でのトレーニング、週末に2度の室内サッカー大会の参加、あとは練習日に天気が良ければ外での練習といった頻度でチーム活動を行い、私がちょうどドイツに戻ってきた1月下旬から通常通りの週2回のスケジュールに戻った。

久しぶりに合う子どもたち。「どこにいたのー?」と元気いっぱいに向かってきた。休み後にはいつも子どもたちの成長ぶりに驚かびっくりさせられることが多いが、今回もそれを感じた。特に思ったのは「人の話を聞こう」とする姿勢が明らかに変わっていたことだ。以前であれば「よし、練習始めるよ! 集まろうかー」と声をかけてもほとんど集まってこない。そのまま楽しそうにふざけていたり、ボールを蹴り合っていたり。もう一回呼んでも動かない。さらに、もう一回呼んだら何人かがようやく気がついて少しずつ集まってくるが、半分以上はまだ自分のことに夢中だった。「集合ゲーム」みたいな形で興味を引いたりしないと集まらなかった。やっと集まったと思って、トレーニングの内容を説明しようとしても話を聞こうとしない子がワラワラ。毎回試行錯誤の繰り返しで、練習後はゲッソリすることも少なくなかった。

それがこの前のトレーニングでは「はい、スタートしようか」と呼んだら、最初のコールで半分くらいの子が集まってくれた。それも「ダッシュ!」で、しかも「何やるの?」と練習に興味を示してきた。「こういうルールでこういうゲームをやるよ!」と言ったらすぐに動き出す。その日はミニカラーボールを使っての鬼ごっこをやった。みんなノリノリでキャーキャーと練習を楽しんでいる。しばらくやって次の練習に移ると、これもスムーズに進んだ。

以前なら途中でボールを蹴ろうとどこかに行ったり、じゃれ合いながらグラウンドに寝転んだりと、「彼らの時間」が必ず必要だったものだが、すぐに私たち指導者の提示するマーカーの位置に並び出した。ミニゴールにパスとシュートでゴールを決めていく対抗ゲームをやったのだが、相当に盛り上がった。それでいて悪ふざけをする子もいない。ミニゲームでもみんなすごくいい動きをしていた。

「なるほどなぁ」と感心した。

「彼らができなかった」わけではないのだ。指導者の要求と選手の欲求、そして指導者の描くイメージと選手の描くイメージが合致していなかっただけなのだ。体が成長し、頭の中のキャパシティが増え、心に成熟さがついてくることで、自然にできるようになっていた。「できないからダメ」なのではなく、「できないからできるようにしつこくやらせる」のではなく、「できるようになるためのアプローチしながら、できる時を待つ」。それぞれの成長が追いついてくれば、本当にスムーズに取り組めるようになるのだ。

▼もちろん、そこには個人差がある。

このチームでいえば、感情のコントロールがまだ一人うまくいかない子がいる。ここでは「オリバー」と呼ぼう。クラブに入って2か月ちょっと。チーム活動がはじめてということもある。うまくいかないことがあると、すぐに癇癪を起してしまう。PKゲームをやってGKに止められると、自分のキックだけGKが本気だと泣き出し、「もう嫌だ、帰る」と歩き出してしまう始末だった。

私がオリバーを追いかけ、彼の手をもって辛抱強く話し続ける。

「相手を悪く言うのは良くないよ。なんでうまくいかなかったのかを人のせいにしたら後で苦しいのは自分だよ。サッカーはチームでやるスポーツなんだ。うまくいくこと、うまくいかないことがたくさんある。パスを出さないのはパスを出したくないんじゃなくて、パスを出せないからということだってたくさんある。相手の立場にも立ってみることが大事なんだ。君がうまくやりたいと思うように、まわりのみんなだってうまくやりたいと思っている。それを認められるようになることって大切なんだ」

そんなことを何回も何回も繰り返した。気持ちが「ワーッ!」となっているときには何を言われても頭に入らないものだ。「そんなことない。嫌だもう。楽しくない」とわめきだす。でも、大事なことは伝え続ける。

「帰るかどうかは君の自由だ。誰も君に『サッカーをしろ』だなんて強制はしないのだから。他にやりたいことがあって、そっちの方が楽しいならそれもまたいいことだと思うよ。でも、もし君がサッカーを好きで、サッカーを楽しみたいんであれば、どうしたらもっと楽しくなれるかも考えてみようよ。僕らは君の敵じゃないんだから」

毎回同じように癇癪を起されるとこっちも気が滅入る。

イラっとしたりすることだって普通にある。彼一人にだけ構っていられない事情もある。わがままばっかりだと、みんなも困る。それに言い続けて彼が本当に変わるかどうかなんて誰にも分らない。彼にとってサッカーが必要かどうかだってまだわからない。他に向いているものがあるかもしれない。でも、そこで指導者が「プイッ!」と横を向いてしまったら、彼に伸ばした手を引っ込めてしまったら、できるようになるはずだったこともできないままで、伝わるはずだったことも伝わらないままだ。だから、私は声をかけ続けるつもりだ。少し気持ちがささくれそうになるときには、一緒に彼に向かって声をかけてくれる次男の姿を思い出すようにしている。

「気にするなよ」
「そういう態度はダメだよ」
「次はうまくいくって」

次男がそういって手を指し伸ばしている姿を見ると、私が先に諦めてどうすると気持ちをまた強く持つことができる。そして、帰り道のバスの中で「さっきの、助かったよ。ありがとうね」と伝えると、「あんなふうになるの嫌だし。みんなで楽しくできる方がいいもんね」と笑ってくれる。我が子の成長の瞬間を間近で感じられることは、実はそんなに多くないのかもしれない。だからこそ同じチームで活動できる喜びをこうした形でも噛みしめることができるのはとてもうれしいことだ。

その次の練習でグラウンドに行くと、オリバーが駆け寄ってきた。「見て見て、こんな技ができるようになったよ」と笑う。「そう、その顔だよ。君はいろんなことができるようになるんだよ。だからちょっとずつでも一緒にやっていこうな」。そう心の中でつぶやく。私は「すごいじゃん! 今日の練習でその技見せてよ」と笑い返す。照れたように頭をポリポリかいて、「できるかな?」とこぼす。私は笑って答える。「できなくても大丈夫。そしたらまた試してみればいいよ。やろうとする人しか、できるようになることはないんだからね」

オリバーはうなずくとほかの仲間のところに走っていった。その背中を見ながら私も気合を入れた。「さあ、今日もみんなでサッカーだ」。

連載【子育て奮闘記】

vol.1僕、息子のチームでコーチを始めました

vol.2息子が所属するU9のアシスタントコーチとしてできること

vol.3息子の仲間へのポジティブな声かけに助けられたこと

vol.45人制から7人制に変わって見えた、子どもたちの成長と課題

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