中野吉之伴フッスバルラボ

サッカーと生きるとは、サッカーが中心に回るわけではない

▼「サッカーと生きる」という言葉は私にとって相棒みたいなものだ。

サッカーの世界に関わるために、無理やりにでもサッカー業界の中に入り込み、そこで稼ぐことだけがすべてではない。指導者として食べている『プロ指導者』という肩書が優れた指導者と同義語になるわけでもない。プロサッカー選手であること=最高にして唯一の成功選択肢というわけでもない。

サッカーとは、すぐそばにあるものだ。

「サッカーを楽しみたい」と思う人ならば、誰でもできる。それが本来の姿であるべきだと思う。それぞれにはそれぞれの人生があり、それぞれの関わり方、それぞれの楽しみ方がある。そういう自分の中での関り方を探していく。これまでも、これからも、私自身そうした生き方を模索していきたい。

だから、仕事は仕事として自分と向き合うことが大切だ。だが、その仕事がいま難しい状況にある。昨今の紙業界不振の影響は小さくない。ちょっと前まで普通にあった取引がなくなってしまうことがある。実際にあった。先行きの見えない不安が押し寄せてくる。正直いずれこうした時が来ると予想はしていた。だから、そのために備えてちょっとずつ準備を進めてはいた。

このWEBマガジンもそのための一つだった。日本での活動もそうだ。でも、まだすべての備えが出来上がっていたわけではない。数年後を見越しての活動や仕事を探して続けていくと同時に、当座の仕事が必要になっている。だが、当座の仕事といっても、すぐに見つかるものではない。これまで自分がやってきた仕事先とコンタクトを取ってみる。でも、状況を一変させるような大きな仕事が舞い込んでくるなんてことはそうはない。どこも大変だ。その中でみんな必死になってやっている。苦しいのは自分だけではない。

それにしても『厄年』とはよく言ったものだ。

私はいま後厄なのだが、この3年間で監督解任、住居からの退去勧告、そして今回の職難だ。見事なまでの3弾攻撃。家族がいる。住まいがある。生活がある。仕事を探すといっても「なんでもいい」「どこでもいい」というわけにはいかない。子どもの学校のことを考えると、可能な限りここを動きたくはない。とはいえ、フライブルクという地方都市に住む日本人サッカー指導者で、フリーライターの需要なんてない。ジョブサイトを閲覧してみるけど、自分がすぐにやれそうな仕事は見つからない。ドイツにおける日本人転職サイトを見てみた。なくはない。できなくはない。でも、引っ越しは必須になる。働き方も、生き方もガラッと変わるだろう。でも、それでいいのだろうかと自問自答を繰り返す。やらなきゃいけないこと、やりたいこと、やれること、やるべきこと。いろんなことが頭の中でグルグル回っては、結局何の答えも出ないままどこかに消えていく。

正直、自分は何でもできる人間だと思っていた。

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