田代有三はなぜオーストラリアでセカンドキャリアをスタートさせたのか?(J論)

中野吉之伴「子どもと育つ」

サッカーばかりやっていたから常識に欠ける?この言葉をどう受け止め、変えていくか。

 品川駅で指導者仲間の高橋孝輔さんとお会いしたときの話だ。

とあるクラブに若く情熱のある青年を推薦したという。指導実践を見学したときには、「しっかりとメリハリのある指導ができている」と感じたからだ。実際に加入当初は何の問題もなく、むしろ精力的に指導する姿に好印象が持たれていた。ところが、時間が経つにつれてどこか違和感が出てきたそうだ。当たり障りのないはずの話がかみ合わない。一般的な社会常識がずれているのかもしれない。小さなイザコザがやがて修復不能なところにまで膨れ上がった。そうなると、共に歩んでいくのは難しい。両者の思いが再び交わることはなかった。

こういうことを聞いたのは初めてのことではない。

指導者だから起こったというわけではなく、選手、スタッフとの間でもそうした事態は起こりえる。「たまにはそういうこともある」。それで終わる話なのかもしれない。ただ、「サッカーばかりやってきたから、世間では当たり前の一般常識に欠けてしまうことがあるんだろうか」と品川駅のスターバックスで高橋さんと話ながら、どこか引っかかるものを感じた。なにかおかしい。

何でサッカーばかりやっていると一般常識が欠けてしまうの?

サッカーだけでなく、スポーツばかりやっていると、なぜか一般常識や生活習慣が欠けてしまうことがしょうがないと考えられる傾向がどこかにある気がする。「一生懸命やっていたんだから」と。でも、そもそもどんなスポーツをしていようと、どれだけ熱中して取り組んでいようと、クラブであろうと部活であろうと、そこで人が関わり合い、共同作業をし、そして将来に向けての育成をしているのであれば、どう考えても、一般常識や生活習慣を身につける環境がなければならないし、それを指導者や保護者は重要視していなければならない。

「うちはその辺り気をつけていますよ。挨拶は必ずするようにしているし、握手もする」

確かに挨拶や礼儀を大事にされている方は多い。でもそれが浸透しているかどうかは気をつける必要がある。先日私の所属クラブであるフライブルガーFCのコーチミーティングがあったのだが、その席でこんな指摘があった。

「それぞれのチームを見ていると子どもたちは皆コーチ陣と自然に挨拶をしているし、握手をしている。それはとてもいいことだ。だけど育成ダイレクターや会長が近くにいても素通りしていることが多い。挨拶とはなんのためにするのか。その辺りをもう一度しっかりと考えてもらいたい」

日本でもそのクラブや部活に所属している間は丁寧に挨拶をするが、卒団・卒業した途端にやらなくなる子どもたちがいる。そこに“なぜだろう?”と関心を向けて欲しいと思う。やっているからそこで終わりではないのだから。強制からは何も生まれない。

ドイツに来て20年近く経つが、どこでも普通に人と人との接し方を大切にしていると感じているし、クラブにいる人が一般社会だと問題を抱えているなんて聞いたことがない。むしろ逆で、人間的にも豊かな人たちが多い印象を受けている。もちろん地域やクラブによっていろんな人がいるわけだし、みんながみんな優れているなんては言えない。

しかし、スポーツをしている人たちが、それが問題で社会になじめないというのはピンと来ない。日本での講習会でも各地で紹介させてもらったが、例えば小学生の成長に必要な4つのポイントがある。

1.年代に応じた成長過程に気をつける

「子どもは小さな大人ではない」

子どもは誰もが成長過程にいる。できないことをできるようになるために、みんな取り組んでいる最中だ。言われたことをすぐできるようになるなんてことはない。できないことが当たり前であり、できないことこそが大事なのだ。そこでどのようにやり方を学び、解決策を見出すかが重要だ。

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