私たちはどんな未来を子どもたちに残してあげることができるのだろう?
▼今日本当は別企画の記事をアップしようと思っていた
ただ、どうしてもいま伝えておきたいことがあって、どうしてもつづっておきたいことがあって、急遽新しく原稿を書いている。
みなさんは7月下旬にフランクフルトで起こった痛ましい事故について知っているだろうか。
7月29日、フランクフルト中央駅では多くの利用客がひしめいていた。いつも通りの風景。誰もなにかが起こるだなんて思ってもいなかった。ICE(ドイツの特急電車)がホームに入ってくる。その瞬間、8歳の男の子とその母親が空に投げ出された。誰も何がなぜ起こったのか把握することができないまま、急ブレーキを踏まれた電車が止まることができないまま、起こってはいけないことが起こってしまった。母親はかろうじて自力で直撃を避けることができたが、男の子は…。
犯人はすぐに逮捕された。40代の男性。チューリッヒで暮らし、自身結婚して子供もいる身だという。動機はいまだに不明だが、目撃者の証言によると無差別的に突き落とそうとしていたそうだ。ホームには、多くの子どもたちがいた。他の子どもが、他の子どもも、被害にあう可能性もあったのかと。子どもだけではない。なんの準備もしていないときに、急に後ろから突き飛ばされたら、誰だってどうすることもできないではないか。運がいいとか悪いとか。運命だとかそうじゃないとか。そんなことでどうにかなる話でもない。
事件のニュースを聞いたとき、私は国際コーチ会議に参加するためにカッセルにいた。家族も一緒だった。テレビやラジオから、ひっきりなしに続報が流れてくる。次男が尋ねてきた。
「フランクフルトで何があったの?」
不思議そうに、不安そうに聞いてくる。この子も、8歳の男の子なんだ。いろんなことをしでかして両親を困らせたり、でも天使のような笑顔で僕らを解き放ってくれたり。あの子も、きっとそうだったんだろう。そう思うと、胸がただただ締め付けられてくる。
できたら、こんなことは話したくはない。できたら、子どもは助かったんだよというふうに伝えたい。でも真実はそうではないんだ。ごまかしていい話ではない。だから、話して聞かせた。痛ましい事件が起こってしまったんだと。みんなが悪い人ではない。全部を怖がるのは良くない。でも残念だけど、こういうことが起きてしまうこともあるんだ。悲しいことだけどね。ないほうがいいし、なくなるために何とかしていかなきゃいけないんだけどね。自分たちの身を自分たちで守るために、できることはちゃんとやろうと。電車が来るときにホームに近づくと危ないから、ちゃんと離れよう。パパとママと離れないでいようねと。
真剣に聞いて、うなづいた。すぐに消化できる内容じゃない。消化してもそれがどういうことか解釈するのは簡単なことではない。それでも彼なりに考えて受け止めたのだろう。
昨日、試合の取材でフランクフルトにきた。ついた電車のホームが、その事故があったホームだった。そこには本当にたくさんの花とぬいぐるみと悔やみの手紙が置かれていた。私は、そこからしばらく立ち去ることができなかった。
「なんで、なんで、なんで」
それだけ書かれた手紙があった。
「最後の旅路だなんて。小さな子へ」
アイントラハト・フランクフルトの帽子にメッセージが縫われていた。
中にはこんな手紙があった。友達だった子からのものだろうか。
「しらせをきいたとき、とてもつらかった」
まだつたなさの残る字でそう書かれてあった。
そしてその子なりのせいいっぱいの思いがつづられていた。
「そんなにかなしまないでね。きっとまたよくなるから」
天国のともだちにあてたメッセージ。涙が止まらない。よくなってほしいよ。かなしまないでいてほしいよ。向こう側でよくなってくれているだろうか。笑って走ってあそんでいるのだろうか。ともだちからのメッセージがとどいているだろうか。どうか、どうか、安らかに。合掌。
何でこんなことが起きちゃったんだ。こんなことを起こした犯人が憎い。そりゃ憎い。許せるはずがない。
今を生きる子どもたちに残酷な話なんてしたくはない。絶望的な未来なんて見たくもない。社会は、世界とは素敵で、美しくて、みんなかけがえのない人たちなんだと伝え続けていきたい。でも、夢みたいな話ばかりをして、現実と向き合わないのはやはり違う。どうしたって世の中では、信じられないような事件や事故が起こってしまう。人間はとても素晴らしい存在であると同時に、とてつもなく愚かで残忍にもなってしまう。悲しいけどそれが事実。だから必要な警戒心は常に持ち合わせる必要がある。何かが起こった後ではどうしようもないのだから。
それでも、私は他者を疑えとは思いたくない。だからと、子どもたちが希望をもてない未来なんて作り上げたくもない。何があろうと、私は周りの人に親切でいたいし、できる限りの関係を築いていきたい。私たちが暮らす世界とは、本当はこんなにも素晴らしいんだというのを信じ続けていきたい。そのためにできることを一つずつ、ちょっとずつでもやっていきたい。
私はサッカー指導者だ。そしてサッカー指導者とは、サッカーだけのことを考えていればいいわけではない。私たちはその前にみんな人間だ。自分たちの社会のあり方、人生の歩み方、人との関わり方、そうしたことにも常に思慮深くあるべきだと思う。
政治とは、政策とは、ルールとは、社会の仕組みとは、なんのためにあるのだろうか。だれかにゆだねて、誰かに形作ってもらう中で自分たちがあわせていくものだろうか。
そうではないはずだ。
みんなが願う社会のために、政治も政策もルールも仕組みも築かれ、整えられ、改善されて行かなければならないんだ。政治や政策やルールや仕組みのために、私たちの社会がほんろうされ、無理をしいたげられるものであってはいけないのではないか。それに対して何もしないのではなく、自分の力の及ぶ範囲からでも変えられることは変えていくべきだ。
人類みな兄弟と何の対策もないまま現場にすべて責任転嫁されたらたまったもんじゃない。だからと自分以外はみんな敵と排他的になることは自分たちをさらなる闇へと落とし込むことにしかならない。無意味な二極論でごまかすのではなく、まっとうでまっさらでバランスの取れた価値観を持つべきなんだ。四の五の小難しいことを言う前に、立ち止まって深呼吸をして、目の前の子どもたちと向き合ってほしい。
一緒に考えていこう。
そして作り上げていこう。
僕たちの、私たちの未来を。