ロベルト・エンケの自死から10年。心のケアのありかたについて改めて考えた日
▼ ロベルト・エンケを偲んで
2009年11月10日。
ドイツサッカー界にとって忘れられない悲しい日。みなさんは御存知だろうか。当時ハノーファーに所属していたGKロベルト・エンケが自ら命を落とした。
ドイツ代表にも選出され、2010年ワールドカップ出場メンバーにも入る可能性を持っていた選手が、なぜ?だれもが驚き、悲しんだ。後日、実は長年うつ病を患い、苦しんでいたことが発表されたけど、だからといって頭のなかが整理されて、納得できるわけではない。
プレッシャーと戦うこと、乗り越えることが勝負の世界では要求され、それができない選手はダメだと烙印を押されてしまう。だが、それがあまりにも当たり前のことのようにとらえられていないだろうか。
信じられないほどのプレッシャーに選手や関係者の精神がどれだけ疲弊していることかを忘れてはいけないのだ。それだけに、ドイツだけではなく、世界中のアスリートシーンに対する深い啓示として、僕らは受け止めなければならないのではないだろうか。
エンケは、僕と同い年だった。同じように小さな子どもを抱える同世代の親として、とても他人事とは思えなかった。
ニュースを聞いて、ネットで情報を探して、「なんで?」ってという思いを消すことがなかなかできず、夜ふといろんなことを考えだしてしまっていた。
「プロスポーツという特別な世界の話」というわけではない。僕らの世界にも、社会にもすぐそばにそんな”魔”がひそんでたりする。僕らにも起こりえること。
そう思うと怖くなってしまう。隣ですやすやと眠る我が子を見て、涙をスッと流してしまうこともあった。
あの日から、10年の時が経った。
今節のブンデスリーガでは多くの会場でロベルト・エンケのために黙とうがささげられ、未亡人であるテレサ・エンケさんのメッセージがスクリーンに流された。
テレサ・エンケ うつ病はいまや国民病といっていいほど多くの人が苦しんでいます。でもうつ病は適切な治療でしっかりと治すことができる病気です。理解を深め、お互いに助け合うことで多くの人を救うことができるのです。
親愛なるサッカーファミリーの皆さん、ロベルトの思いを胸に、これからの私たちの社会がより良くなるために、ともに手を取り合っていきましょう。
スタジアムからは万雷の拍手。僕もスクリーンから目が離せなかった。テレサさんはエンケの死後、ロベルト・エンケ基金を立ち上げ、うつ病に苦しむ人々を助けようと精力的な活動を続けている。
「悲劇」という言葉で終わらせてしまってはいけない。今を生きるものとして、彼の意志を引き継いでいきたい。競争にプレッシャーやストレスはつきものだが、だからといって人の命を損なうほどのプレッシャーやストレスはやはり間違っている。
僕たちは人としてどうあるべきか
どう人と向き合い、つながっていくべきか
そこにプロとアマチュアの違いなんて必要ないではないか
自分たちのあり方、生き方を改めて思いなおす意味でも、10年前のあの日に僕が書き留めてあったものを紹介したいと思う。文中の年齢や肩書は10年前当時のものなのでご了承頂きたい。
サッカーとは何なのか?
生きるとは何なのか?
家族とは何なのか?
それぞれがそれぞれに思いを巡らして、一つでも、少しでもよりよい社会になるために、自分たちができることを考えていきたい。決して他人事ではないのだから。
▼エンケの思いを引き継いだGK
ロベルト・エンケが所属していたハノーファーは月曜日から練習を再開。土曜日に行われるアウェーでのシャルケ戦を延期にするべきかという話もあったが、チームマネージャーのシュマッケは「われわれはシャルケ戦に向かって準備をする」とコメントし、試合に臨むことを明かした。
突如チームの新正GKとして、そのポジションを継がなければならなくなったのがフロリアン・フロムロビッツ(23)。エンケが亡くなったという知らせを聞いた翌日には家族の住むカイザースラウテルンに戻っている。心を落ち着けるだけの時間と場所が必要なのは当然だ。次のシャルケ戦、世間の視線は自然とゴールマウスに立つフロムロビッツの元へ注がれることになるだろう。
「ロベルトは天国から僕らのことを見ててくれる。全力でプレーするよ。彼のためにも、ハノーファーのためにも。僕は友人をなくしてしまったんだ。ロベルトはいつまでも僕の心の中にい続ける。ロベルトは僕にとって師匠のようなものだった。彼を通して自分のGKとしてのスタイルを見つけることができたんだ」
フロムロビッツはそう語っていた。一人ではない。チーム、クラブが一丸となり、エンケのためにも、一生懸命サッカーに打ち込んでいく。
▼小さな子供が誓ったエンケへの約束
ロベルト・エンケは小さな子のヒーローでもあった。コナー・キースト君(5)はエンケの大ファンで毎週木曜日にハノーファーの練習見学に訪れていた。
「時々僕はグラウンドで一緒に練習させてもらったんだ。ロベルトは僕にどうやってセービングすればいいのかを見せてくれたんだよ」とコナー君。
コナー君はいつも真剣なまなざしでロベルトの眼を見つめて話を聞いていた。コナー君の母親のアレクサンドラさんは「エンケは、コナーを見つけると彼の頭をなでながら『ヘイ、コナー、元気にやってるか?』といってくれたんです。」と語る。
今キースト家にはロベルト・エンケの写真が額に入れられ、亡くなった祖父の写真の隣に置かれているという。コナー君は毎朝二人の写真の前に行き、ろうそくに火をつける。
そして『ロベルトは今天国のおじいちゃんのところにいるの?』と尋ねる。
今度の木曜日にアレクサンドラとコナー君はいつものようにハノーファーの練習見学に出かける。もうロベルト・エンケの姿はないその場所で、コナー君は一つの約束をする。
「僕の心の中でいつまでも生きているよ。そして僕は教えてもらったようにゴールキーパーをがんばるんだ」
▼ドイツサッカー協会からのメッセージ
親愛なるロベルトへ
サッカーシューズを履き、グラウンドに飛び出し、90分間プレーする。それが僕らにとって日常的なサッカーシーンだった。君が愛してやまなかったその当たり前が、今夜の僕らにとって、何よりも難しいことなんだ。
君の死を今でも受けいれることができない。あの悲しい知らせは、僕らからすべての言葉を奪った。理解することがまったくできなかった。みんなまるで麻痺してしまったかのようになってしまった。この悲しみを言葉にすることはできなかったんだ。
すぐにサッカーができる状態に戻れるわけがない。いつものように生活することだってできなかった。何が起こったかのかを把握するには、時間と落ち着きが必要で、でも本当に正しく理解出来る日なんて、僕らにはこないのだろう。
僕らは長い間君のことを考えていた。みんなで集まって共に黙り込み、共に泣き、共に答えを探そうとした。でも僕らには「なんでなんだ?」という言葉と思いしか見つけることができなかったんだ。
何で僕らは君を助けることが出来なかったんだ?
何で君は僕らに苦しみを打ちかえることができなかったんだ?
何で打ち明けようとしなかったんだろう?
何でこのプロ世界では自分の持つ不安や病気を告白することができないんだ?
僕らとともに過ごしているときでさえ、君は一人孤独で苦しんでいて、たかがサッカーの試合以上に多くのものを失ってしまうんじゃないかと悩んでいた。その事実は、僕ら全員にとって苦しい真実だった。誰とも違った多くのものをグラウンド上に持ち込んでゴールマウスに立っていたのか、と。
だから今、僕らは君の思いを引き継ぎ、ピッチ上でいいサッカーをし、自分たちの思いを現実のものにするために全力で戦っていくと誓う。そして不必要な先入観をサッカーの世界からなくすために戦うことを誓う。
君がいない。スタジアムに向かうバスの中に、控え室に、ペナルティエリアの中に。すばらしいGKで、そして素晴らしい人間だった君はもう、いない。今日の試合、僕らはドイツのために、ファンのために、そして君のためにプレーをする。友であった君のために。君の死を通して僕らはさらに団結した。
忘れないでくれ。
僕らは一つのチームで、そして君はいつまでもそのチームの一員なんだ。
君のドイツ代表チームより
(DFBホームページより)
▼エンケへの思い
エンケ、あなたは本当にたくさんの人に愛されていたんだな。先週末はドイツで行われたすべての試合の前で1分間の黙祷が行われた。
ドイツ中があなたを偲んでいた。ドイツ中があなたが安らぎを得ることを祈っていた。
僕たちはこれからも生きていく。日曜日の試合前、街角のパン屋でコーヒーとパンを買った。パン屋のおばちゃんが笑顔でコーヒーを手渡してくれた。人の暖かさにふれて優しい気持ちになれた。
街中で市場が普段と変わらず開かれていた。
人が行きかい、会話が飛び交っていた。
いろんなところで笑顔があふれていた。
気持ちがスーッとなった。
あなたが逝ってしまった事は悲しい。
でも僕はこれからも生きていく。
守りたいものがあるから。
たどり着きたいところがあるから。
伝えていきたいことがあるから。