中野吉之伴フッスバルラボ

世界は「いつ日常生活が戻ってくるのか」とは言ってられない事態になっている。例年通りのことを渇望するのではなく、とにかく落ち着いて対処しよう


▼ 宇都宮徹壱さんとの特別対談を終えて

29日(日)、ZOOMを利用して宇都宮徹壱さんと対談を行ったのだが、その中でブンデスリーガの今後はどういう展開になりそうかという質問に対して、僕は次のように答えたと思う。

「ブンデスリーガは現時点で4月いっぱいは試合開催はない。早くても5月下旬から6月にならないと開催はできない。試合を消化してシーズンを終わらせられないと、テレビ収益などで大きなマイナスが出てしまう。

このままシーズン中断となった場合、ブンデスリーガ6つの1部クラブが金銭的な危機に追い込まれるとみられている。バイエルン、ドルトムント、ライプツィヒ、レバークーゼンの4クラブが、そうした危機的状況に備えて全額2000万ユーロ(約25億円相当)のサポート資金を準備しているという報道もあった。

DFL(ドイツサッカー連盟)でも対策を練っているが、総額を補填することはさすがにできない。それだけになんとか、シーズンを終わらせられるためのプランを練っている。パターンとしては週に2試合ずつのペースで試合を消化していくパターンが一応有力視されている。あくまでも再開されれば、ですけど。

そしてもし実際にブンデスリーガが再開されても、無観客試合となる。今シーズンはほぼ間違いなく観客入りの試合開催はありえないし、来季にしてもしばらくは難しいのではという見方をされている。2021年になってはじめて、可能性が見いだせるのではないかという識者もいる。

前後それぞれ間隔をあけるとか、全体的な観客数を制限したりしながら少しずつ増やていくことも考えられるだろう」

無観客試合でも試合が再開されれば、サッカー界もひとまず一息つくことができる。ただテレビ収益が確保できる1部、2部リーグクラブはホッとすることができても、3部リーグ以下のクラブはただただ苦しい。入場収入が生命線なのに無観客試合をするということは、むしろやればやるほどマイナスになってしまう恐れもある。その辺りの経費をDFLが補ったとしても、プラスにはならない。

むしろ試合をすることで選手が消耗し、感染率が高まる恐れだって出てきてしまう。3部リーグ以下は、このまま途中でリーグ終了。今季ここまでの結果は無効というケースも十分考えられる。

▼ クラブを救え!救済アクション

何とか資金繰りをしなければならない各クラブは試行錯誤をして、様々なアイディアをだして生き抜こうとしている。4部リーグ所属のロック・ライプツィヒは”目に見えない敵”との試合として、3月19日からエアチケット販売の形で寄付金を募った。1枚あたり1ユーロ。すでに9万枚以上が購入されているという。

また同じく4部リーグのロートバイス・エッセンではエアVIPチケット(100€)、エアチケット(10-25ユーロ)、エアソーセージ(2.5ユーロ)、エアビール(4ユーロ)というラインナップで寄付金を募ったところ、こちらも10万ユーロ以上が集まっている。もしリーグが観客ありで出来るとなった場合は、試合チケットとして使うことができるという。

元浦和レッズのウーベ・バインも所属していた4部リーグのオッフェンバッハーキッカーズでは、他クラブファンからのサポートもたくさんあった。5ユーロ、10ユーロ、19.01ユーロ、190.1ユーロ(クラブ創立年にちなんで)と4種類で販売。トップチームの選手が100枚自腹で購入したほか、40年来親交があるレバークーゼンのファングループが1901ユーロ分を寄付した。

他にも1860ミュンヘン、ウルディンゲンといったドイツクラブ、さらにはベンフィカ・リスボン、ラピード・ウィーンも寄付に協力していた。かつてはドイツの古豪として欧州でもその名をはせていたクラブだ。ライバルと助け合う。サッカーが結びつけた、その絆の深さを感じさせる。愛するサッカーへの思いはみんな、一緒なのだ。

▼ 外出制限が続くドイツの毎日

新型コロナウィルスはいつ終息するのか。

どんな話を、誰としていても、そのことばかりが今は気がかりだ。しょうがない。家族のこと、仕事のこと、サッカーのこと。みんな考えれば考えるほど心配になっているし、不安は大きくなるだろう。僕もそうだ。当初予定していたスケジュールはどうなるんだろうと考えることがよくある。いつ以降のスケジュールだったら考えておくことができるんだろう。

ブンデスリーガが無観客試合として再開されたとしたら、試合に関する記事を書くことはできるようになるかもしれない。でも、試合後に選手のコメントを取ることは難しいかもしれない。すでにリーグが中断される直前のフランクフルトとバーゼル戦では「試合後のミックスジーンは閉ざされます」と広報から連絡を受けていた。選手のコメントなしで日本のメディアにどこまで書く場所を確保できるのかとなると、なんとも言えない。それだけに働き方そのものを考え直さなければならないと思っている。

これまで、夏と冬に一時帰国して精力的に行っていた子どもたち向けのサッカークリニックや指導者講習会も、予定が立てられない。これまで日本は比較的抑え込めていたと思われていたので、ひょっとしたら夏ごろには先行きがなんとなく見えてくるかなと考えていたが、ここ最近の様子を見る限り、爆発的に感染者数が増えてもおかしくない状況にきているのではないだろうか。

なんでも比較すればいいわけではないが、ドイツでの空気感と日本でのそれは違う。違いすぎるともいえる。ドイツでは外出制限の規則が発動されてから2週間近くになる。買い物や仕事に行くこと以外では、3人以上で外に出てはいけないことが規則として決まっている。家族は別だ。家族に関しては同じ家で住んでいる場合、3人以上でも問題ない。

外出禁止ではないので子どもにしても外で遊ぶのはオッケーだ。でも一緒に遊べるのは2人まで。遊具のある公園はすべて使用禁止。サッカーグラウンドにしても当初は練習と試合活動の禁止だけだったが、いまでは施設の使用も禁じられている。僕らができるのは人が少ない広場で少しボールを蹴ったり、キャッチボールをしたり、屋外で卓球をしたり。散歩やジョギングをしてリフレッシュしているたくさんいる。ただ地域によっては、そうした活動も少しずつ難しくなってきている。こうした規則を破ったら罰金で、何度も破ったらそれこそ逮捕もされる。実際にそうしたことも起きている。

本来ならヨーロッパではオープンカフェを楽しむ季節だ。29日(日)から夏時間が始まり、日中の時間が長くなった。フライブルクの天気はいい。冬のどんよりとした空とは違い、青空が広がるだけで気持ちはのびやかになる。ポカポカ陽気の中で散歩ができるのは気持ちがいい。でもそうしたのどかな感じと、いま社会を覆っている閉塞感が合致しない。みんなストレスなく外歩きをしたいという気持ちを抑制しながら、のどかな風景の中を歩いている。違和感は誰にだってある。

▼ 外出制限の効果は生まれているのか

そうした規則が発動されてからどのような結果が生まれたのか。これも宇都宮さんとのZOOM対談で話をしたが、ドイツのメルケル首相は先日、「当初感染者の広がりは、2.2日で倍に増えるというハイスピードだった。ここ最近はそのスピードが、5日間で倍にというところまでおさえられてきた。ただまだこれで十分ではない。医療施設や人員に負担がかかりすぎないで、しっかり対応できるようにするためには、10日間で倍になるくらいの感染スピードにまで抑え込まなければならない」とメッセージを送っていた。

これまで具体的な判断基準がなかったことで、自分たちがやっていることはいったいどんな意味があるんだ?どんな効果をもたらすんだ?というのが見えづらかった。僕ら人間はあくまでも経験則から今後の指針を探し出そうとする。だからこれまでの疫病をどのように克服してきたのか、災害の前と後でどんな変化が生まれたのか、そうした歴史から何らかのヒントを見つけようとする。でも何を参考にすればいいのか。どんな結末が待っているのか。それはいま誰にもわからない。だから不安になる。

メルケル首相のメッセージからは、自分たちが制限を受け入れ、活動を自粛していることが、確かに感染抑制につながっていて、これをさらに続けていければ、ドイツ国内における治療・回復のサイクルをある程度維持することができるという目標を、これまで以上に身近なものとして受け止めることができる。

一方で何の対策もせずに、「設定していた時期が来たから、またこれまで通りに」と戻してしまったら、感染スピードはあっという間に加速してしまうのだという警告でもある。考えてみてほしい。2日間で倍になってしまう危険性があるのだ。

今100だったとしたら、2日後に200、そこから400、800、1600、3200、6400、12800。わずか2週間後でここまで増えてしまったら、そこから抑え込むことなどできない。フランスでは16歳の少女がコロナウィルスの影響で命を落とした。これまで何の疾患もない健康な少女だったのにだ。若者だから大丈夫という保証だってどこにもない。日本がそうした事態にならず、感染が広がらなければ本当に素晴らしいし、喜ばしい。でも、楽観的に構えられる状況ではないのは確かなのだ。

▼ 日常生活の日常ってなんだ?

SNSやネットニュースなどを見ている限り、多くの日本の人は「いつ日常生活が戻ってくるのか」が論点になっていると思うが、僕の場合は「高い確率で日常生活はしばらく戻ってこない」という前提で受け止めている。受け止めざるをえない。ドイツから世界の情勢を見ている限り、そう簡単に終息するとは思えない。だから、サッカーの練習にしても、来月から再開するための準備をいまからできるだけしておこうというふうには考えられない。これまで通りにできるわけではないのだから、これからのやり方だって間違いなく変わってくる。

イースター休暇が明ける2週間後から学校が再開され、それと合わせてチーム練習も許可が下りるかもしれない。ただ今まで通りとはいかないだろう。これまでうちのチームは週に3回練習だったが、グラウンドでは4チームがそれぞれ4分の1面を使って一緒の時間にトレーニングをしていた。それだと密集度が高まってしまうので、1つの時間枠で1チームだけ、となる可能性は十分に考えられる。そうすると週に2コマ60分ずつくらいになるだろうか。もっと減るかもしれない。頻度が変わればトレーニング内容も変わってくる。

リーグ戦もいつからどのように再開されるのか、あるいは今季中はもう試合はできないかもしれない。練習試合もできないかもしれない。試合開催の頻度・有無で練習における意義もテーマも変わってくる。

日常と思っていたものができなくなれば、悲しいし、寂しいし、腹立たしいだろう。でもこれまで日常だと思っていたことが、すべてではないことに僕らは気づかなければならない。”普通”とは、あくまでも主観的なものでしかない。だったら、これからの”普通”をどのように受け止めるのかは僕ら次第なんだ。そして僕ら大人にできること、求められていることは、とにかく落ち着いて対処することだ。

日本でもそうなることは十分にありうる。だから、例年通りの取り組み方ではぜったいに対処できない事態にもなりうることを理解しなければならないのだと思う。例年通りにするためにはどうしたらいいのかと考えるのがそもそも違うというところを受け入れなければならない。いまサッカーに求められているものは、大会での好成績でも、スキルアップでも、将来のための土台作りでもない。今やっておかなければならないことなど無い、というくらいに考えた方がいい。

例年だったらやっていた夏合宿も、遠征も、週末の連戦もやらない。でも「やらないとうまくならない」「例年やってることができないとかわいそう」と嘆くのではなく、スケジュール上、健康上、安全上のキャパシティをしっかりと把握して、その中で仲間でサッカーができる環境を整えてあげることが何より大事になる。1年間はグランドでボールが蹴れるだけでも幸運くらいの覚悟が必要ではないだろうか。

これまでのやり方すべてを考え直すいい機会だととらえてほしい。今までのやり方すべてを一度疑ってみるチャンスだと思ってほしい。

サッカーだけではない。教育現場、家庭環境、親子の関係、毎日のスケジュール。世界情勢を顧みて、社会状況を憂慮して、人生における優先順位を再考する。

サッカー以外の世界を知る機会でもある。毎日練習に時間を費やしていたなら、練習がなくなる時間を利用して、いろんなことにチャレンジしてみるといいと思う。子どもたちも、指導者も。

例えこれからの1年間、これまでのようにサッカーができなくなったとしても、それは失われた一年では絶対にない。僕らは知恵を絞って生きていく。来るべきジャンプアップのタイミングに備えて力を蓄えておく。その歩みが無駄になることは絶対にないのだ。ここで培われた経験は大きな力となり、将来的な大きな推進力となるだろう。

僕らはそんなにやわじゃない。

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