中野吉之伴フッスバルラボ

アーカイブ:吉之伴の歩み

Vol.1「どうしてドイツへ?どうやってドイツへ?自分のルーツを振り返りながら、これまでの歩みをつづってゆきたい」

「中野さんはなんでドイツに行ったんですか?」そう聞かれることが多い。でも僕の場合はその前に「なぜ日本を出ようと思ったのか?」が先にくる。日本の学生生活で感じた違和感、部活で直面した不自然な組織図。野球少年だった僕が野球をあきらめ、サッカーに可能性を見出したのも似たような気持からかもしれない。

Vol.2「ドイツで”普通で”常識的な指導を初めて受けた時の衝撃と19年前の決意」

大学卒業後にドイツへ渡る。でもなんのために?なにをしに?大学時代に近くの小学校でコーチ、そして監督をやることで見えてきた自分がやりたいこと。グラスルーツで生きると決意するきっかけをドイツで見つけた。

Vol.3「酔狂といわれようと、誰にでもできるけど、誰もしそうにないことに、人生をかけてチャレンジしたかった」
ドイツに渡った僕は初めての海外生活でいきなりつまづいていた。何とかなると思ってドイツまできたけど、「これ本当にどうにかなるのか?」という問題と戦い続ける日々。それでもそんな毎日を望んでいた自分もいた。そして大学時代に愛読していた沢木耕太郎著「深夜特急」が少なからず影響を与えてくれたと思う。

Vol.4「海外生活の楽しさをようやく感じながらも、フライブルク引っ越しを決断した理由」

ミュンヘンで部屋を見つけ、友だちとサッカーをしたり、飲みに出かけたりと、少しずつ海外における生活に日常感が出てきた一方で、次のステップについて考えるとこのままだと難しい気がしてきた。ミュンヘンで暮らすことが目的ではない。何をしにドイツに来たのか。考えて出した結果はフライブルクへ引っ越してみようというものだった。

Vol.5「新しいことにチャレンジしたいという好奇心は間違いなくあった。けど未知のことに挑戦するときは、やっぱりすごく不安で、怖くて、逃げ出したくなるんだ」

ミュンヘンでの生活では良くも悪くもいろんなことを実際に試して、できたこと、できなかったことの経験を積み重ねるための毎日だったのかもしれない。昔からすんなりと馴染んでスタートしてということが苦手だった僕には、一度実際に試してうまくいかなくてという時間が必須だったと思う。いつもそれだと困るけど、そうした時期をどのようにとらえ、どのように取り組むかが成長につながるのではないだろうか。

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