中野吉之伴フッスバルラボ

心が震えた久しぶりのサッカー。みんなとの約3ヶ月ぶりの再会。そして今季最後のトレーニング。

▼ 指導者の指導者としての挑戦 Vol.7

こんなにもサッカー現場と離れていたのはいつぶりだろうか?ちょっと思いだせない。夏休みをしっかり休むことはこっちでは普通だから、その時は2か月弱現場での活動自体がないこともある。それでも新シーズンに向けての準備をしたり、計画を立てたりと何らかの関りはあるものだ。

3年前、前所属のFCアウゲンでU15監督を務めていた時にシーズン途中で解任となったこともあったが、それでも約1か月後には次男チームのコーチとしてグラウンドに立っていた。

今回は例外的な状況だというのはわかっている。新型コロナウィルス感染拡大の影響でサッカーのみならず、社会の動きが制限されてからずっと、オンラインのモニター越しにしか会えない子どもたち。

「はい!明日から夏休み、みんな元気でな!またグラウンドで会おうな!」

そう言って別れたわけでもないのに会えない。シーズンは後半戦2試合をしたところで止まったまま。いつから再開が可能で、いつから試合ができるのか。何もかもがわからない。

感染者数・感染率の広がりが日本の数千倍にもなっていたドイツにいるから、この事態が簡単に収束していかないことも早い段階で感じ取れた。変な話、「ああ、元の生活にはおそらく戻れないんだろうな」という覚悟を僕らはしていた。

だからだろうか、あきらめではないんだけど、サッカーがない日常をある程度割り切って受け止めていたのではないかと思うのだ。後付けの分析だけど。

あとは、それ以外に頭を悩ます問題があったという事情も影響していたと思う。ブンデスリーガの中断を受けて、予定していた僕の仕事が一気になくなったことをなんとかしなきゃいけなかった。ドイツのコロナ補填を無事に受けることができるまでは、相当の借金も覚悟していた。

少しずつ仕事の方向性を修正し、今できることを探して、今から作っていけるものに視点を向けて。

宇都宮徹壱さんも「過去の試合・大会を振り返って記事を書く、というのはむしろ今じゃなくてもできること。今だからできることを探していく方がいい」と言っていたけど、だからWEBマガジンのリニューアルにも踏み切ったし、オンラインでいろんなインタビューして記事化していく形も作ることができた。

何とかなりそうだ。そう思い始めていた5月の頭、ドイツはコロナ感染拡大スピードがだいぶ緩まってきたことを受けて、大打撃を受けていた経済対策へのテコ入れのためにと緩和政策へ移りだす。

2か月近く日常のほとんどの活動が制限されていた毎日。それが急にいろんなドアが開かれていった。お店で買い物ができて、カフェでコーヒーが飲めて、レストランで食事がとれて、買い物途中にアイスが食べれて。

そうか、これが日常にあったものだったなと体と心が感じ出す。自分たちで自然と装備していた防護フィルターを外してみたら、軽やかな日常感がそこにあった。

そして僕らの生活に欠けていた最後の大事なもの。それがスポーツや音楽、芸術という、生きるためにはなくても何とかなる中でないと衝撃的に困る最も大切なものたちだ。

緩和政策の流れで、ドイツでは18日から制限付きでサッカーのトレーニング再開が可能となってはいた。長男・次男の通うクラブはすぐに衛生対策をまとめ上げてさっそく指導。一方僕の指導するフライブルガーFCはすぐには動き出さず、クラブとしての足並みをそろえるために、コーチング会議を重ねて念には念を入れて、ようやく6月2日から練習再開という運びになった。

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