中野吉之伴フッスバルラボ

「指導者になるために通訳というポジションでクラブに関わりたい」大迫勇也や南野拓実らの通訳を務めた宮沢悠生の決意と選手への思い

▼ 宮沢悠生コーチ インタビューVol.2

1.FCケルンで大迫勇也と長澤和輝、そしてザルツブルクで南野拓実と奥川雅也の通訳を務め、現在はレッドブル・ザルツブルクU16コーチとして活躍されている宮沢悠生さんとのインタビュー第2弾。

Vol.1ではドイツに渡ったきっかけ、印象的な出来事、海外で暮らすことで感じた価値観、そしてそれを日本へ伝えるときに気を付けるべきことなどについて、話を聞くことができた。

海外組とひとくくりにされがちだが、それぞれにそれぞれのストーリーがある。違う文化、違う習慣、違う言語、違う環境で生活をすれば、時に傷ついたり、苦しんだりすることも普通にある。

そしていろんな人の助けや支えで現実と向き合い、やるべきことを見定めて、みんな歩いていこうとしているあず。でもうまくいく人もいれば、うまくいかない人だってたくさんいる。

失敗しないようにうまくいくやり方を探すのは間違いではないけど、でも「どれがいいの?どれが悪いの?」という視点だけではわからないこと、できないことはたくさんある。

うまくいったとされる人と同じようにやったら、その通りうまくいくなんてことはないんだから。だから、正しい努力の仕方というか、どのように取り組むべきかを知ることが大切なのだと思う。

その人の歩いてきたプロセスをたどって、その時々でどんな考えで、どんな思いで取り組んでいたのかを知る。

それはとても興味深くて、そこにはとても大切なものがあるのではないだろうか。

▼ 指導者になるために通訳というポジションでクラブと関わりたい

通訳のお仕事ですが、最初ケルンでされたんですよね?

宮沢「えっと、4~5年間か、ケルンのフースバルシューレでサッカーの指導者をさせてもらって、ドイツのライセンスを取ってたんですけど。たまたま長澤(和輝)選手が移籍してきて、ケルンで通訳を探しているという話があって。いろんな人から支えていただいてケルンの通訳に着けたというのが、プロの世界に入った入り口ですね」

その通訳になるというところで最初のコンタクトというのはどういう感じだったんですか?FCの方から話があった?募集とか?

宮沢「そうですね、和樹が来たとき、FCからシュポホ(注:スポーツ大学の呼び名)に『日本人で誰かいないか』という話があって。その募集がある3日前くらいに彼がランニングをしていて、僕は彼の先輩とかとサッカーしてたんですよ。そこにたまたま通りかかって、面識ができて。(通訳候補として)何人声かけてもらったかわからないんですけど、面接に行きました。

そこで僕は『指導者になるために、通訳というポジションでクラブに関わらせてもらえるならば、ぜひやらせてください』ということを一番最初に話した覚えがあります。

ザルツブルクにくるときも、『指導者をしたいので、南野の通訳としていまクラブに関わりたいです』という話はクラブにしました」

なるほど、最初からクラブに自分の立ち位置をはっきりしたうえで、了承してもらったという感じなんですね。

宮沢「通訳で飯食っていこうというつもりはなかったので。そこは最初の面接のときに明確に言いました」

通訳として選手との距離感とか、関わり方に関してもそういう感じで入ったんですか?

宮沢「選手との距離感ということですよね?はい、選手にももちろん伝えました」

将来的に指導者になりたい、という立場で通訳として関わると。

宮沢「はい」

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