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中野吉之伴フッスバルラボ

【指導論】「勝ちを求める、自分のイメージ通りのプレーを求めるあまりに、選手の人間性を否定することはあってはならない」

暴力、暴言、侮辱は人としてNGだし、単純にかっこ悪い。指導者講習会の最初に適性検査を行い、そぐわない行動をした場合はコントロールされるシステム・ネットワークを確立したい。

▼ パワハラってなんだ?なんなんだ?

※19年11月付フットボリスタWEB掲載コラムから転載

私が見たSNSを中心に出回っていた動画では、紅白戦の最中だろうか、選手を呼びつけると、蹴りつけ、張り倒す大人の姿が映っていた。そういえばペットボトルで小学生の頭をずっと小突いていたり、ビンタをしたりする動画も以前見かけたことがある。

他の子どもたちが見ている前で、無防備に大人の暴行を受ける。そして耐えることを強要される。子どもがおびえていても、なぜだか誰も止めない。それどころか、同じような態度を見せていたり、時に外からニヤニヤしながら楽しんでいるようにさえ感じさせる人間もいる。

あの光景は何なのだろう。

こうした体罰だけではなく、日本に帰っている時にトレーニング風景や試合会場に行くと、不必要なまでに大きな声で怒鳴り、不寛容にミスを神経質に指摘し、不誠実に子どもたちを馬鹿にするような人間を目にする。1、2人どころではなく、たくさんいる。

暴行シーンを目撃したことはないが、汚いというレベル以上に薄汚れた言葉を投げつける人間がいろんな現場にいるのだ。あまりに酷いと思って声をかけたことがあるが、「いや、この地方ではこのくらいの言葉は普通のことですから。子どもたちも気にしてないですよ」と涼しい顔をして言い返してくる。

パッと子どもたちの顔に視線を動かしてみた。どんよりした沼底のような目の色をしているように私には見える。だが、ここの人間にはこれが普通の色のようだ。たまらない気持ちになる。

日本では部活動を中心に精神性ばかりを強調する根性論とやらが今でも人気らしい。これがブームであればそのうち跡形もなくなくなるのだろうが、どうやら昔からずっと根強い“人気コンテンツ”のようだ。だから、なかなかなくならない。

こうした暴力性を肯定する人がいる。そもそもパワハラだなんて考えない人がいる。追い込みを美徳と捉える人がいる。「それで成功を収めている人がいるではないか!」と声高に叫ぶ人がいる。

確かに実際の成功例はある。いくつもある。汗をかき、涙を流し、苦しみ、苦しみ、苦しみ、それでもあきらめずに、そこから這い上がり、立ち上がり、そして栄光を手にするというサクセスストーリー。なんて素晴らしいんだと感動する観衆たち。ストーリーとして感動はするだろう。興奮もするだろう。

でもだから全部それでオッケーなんだというのはあまりに軽率だ。だって、それではただの見世物ではないか。ローマ時代のコロッセオのそれと同質のものではないか。

成長するにはそうするしかないと、逃げ場を失った子どもたちは、そこであがくことしか先に進む可能性がないと思い込んでしまう。そして明日は我が身にならないようにと、ミスをしないように、とどんどん縮こまっていく。

どんどん恐怖下にいることが日常化し、自分の能力を育むことからどんどんと遠ざかっていくとも知らず。そんな悲しい現実が起こっている。どこかで、ではない。平和な国、とされている日本でだ。

みんなではもちろんない。多くの人は愛情を持って子どもたち・生徒といっしょに取り組んでいることを知っている。

でも、指導者や先生という立場にいる人が、子どもたちをそうした手段で管理していることがある。そして、大人→子どもの関係性だけではなく、大人同士の中でも上下関係を武器に相手の人間性をまったく顧みないやりかたをしている人たちがたくさんいる。

目を覚ましてみないか。

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