中野吉之伴フッスバルラボ

【育成論】チーム作りとは「それぞれはチームのために」だけではなく、「チームがそれぞれのために」がセットになって初めて意味を持つ

▼ クラブとしての指針をしっかり共有できてますか?

自分たちはどんなクラブであるかを作り上げていくために何ができるのだろうか。

クラブというのは選手がいて、指導者がいてで終わりじゃない。サッカークラブだからサッカーさせてたらそれでオッケーというわけでもない。地域の中にある存在として、関わり合いが求められるからだ。どんなコミニュケーションも一方通行で終わってはダメなわけで、互いからの動きがでてこないといろんなところがよどんできてしまう。

スポーツ少年団であっても、街クラブであっても、J下部であっても、学校のクラブであっても、そこだけで完結してしまうとどうしても閉鎖的になってしまいがちだ。いろんなつながり合いをオープンに作り上げていく。支えるだけではなく、支えてもらえる関係性があることで、社会は無理なく回ってくことを子どもたちも学べる環境になることが望ましいではないか。

ドイツにいるから、ヨーロッパでやっているからすごいという話ではない。ドイツにあるクラブすべてが理想郷なわけでもない。でも素敵だなぁと思わせてくれる取り組みをしているクラブがたくさんある。だからそうした話を僕は伝えていきたい。

好奇心って大切だ。アンテナを張っているから拾える情報がたくさんある。そしてアンテナの感度を調整していくことって必要だ。じゃないと情報過多にもなってしまう。どちらの方向にもやりすぎはよくない。これは自然界の法則の一つではないだろうか。

なのに僕らは極論で話をしがちだ。白黒はっきりさせながら歩かないと不安になってしまいがちだ。そして何かをやろうとすると、そうではないことを受け入れなくなってしまったりする。

でも世の中なんでもそんなに何もかもを明確に善悪、良悪、白黒つけられるわけではないし、そうすることで窮屈になってしまうことが多い。

だから僕らが持つべきなのは答えではなくて、基準であり、ものさし。視野を広げるためには、解釈を深めるためには、視点を増やすためには、そうした基準をある程度定めたうえで、その時々の状況における最適解を探る経験を重ねていくことが欠かせない。

クラブとしての活動もそうなのだ。クラブの指針とはそれっぽい言葉を並べてホームページにアップしたらそれでいいわけではない。定期的にちゃんと立ち止まって、みんなでフラッシュバックしてやっていくことが大切なんだ。

ホームページには「自主性を重んじ、子どもたちが積極的にサッカーに取り組む」ことを目指しますと書いているのに、現場では指導者からの一方通行指導が目立っているクラブはみなさんの周りにはないだろうか。

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