中野吉之伴フッスバルラボ

【ゆきラボ】同調圧力の少ない社会。「みんなが〇〇だから自分も〇〇したい」のプレッシャーが少ないほうがきっと生きやすい

[イメージ写真 Photo AC

こんにちは!日本では映画「劇場版 鬼滅の刃」が記録的なヒットとなっているそうですね。おそらく、鬼滅の話題や関連グッズを目にしない日はないくらいなのではないかと思います。

社会現象と呼ばれるほどのヒットとなると、本当に好きで楽しんでいる人は良いとして、日本の場合、「それほど興味はないけど一応」とか、「流行っているみたいだからとりあえず」という気持ちで映画館に足を運んでいる人も、あるいは多いのかもしれません。それで新しい世界が開けるのなら良いきっかけかもしれませんが、なにせ鬼滅は血が出たり首が飛んだりと、大人でも苦手な人・無理な人が少なからずいそうですし、小さい子どもには見せられないなとも思います。

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映画やアニメの大ヒットという現象は、ドイツでももちろん珍しいことではありません。記憶に新しいところだとやはり「アナと雪の女王」でしょうか。当時は誕生日会やカーニバルなどのイベントにエルサのドレスで現れる女の子はそこら中にいましたし、映画の公開から何年も経った今でも、アナ雪グッズは女の子に絶大な人気を誇っています。

一方で、それが「社会現象」と呼ばれるほど爆発的な広まりを見せることは、ドイツではほとんどないように思えます。それはやはり「好き」や「ハマる」という感情はあくまで個人のものだと捉えられていて、興味がない人に対して疎外感やプレッシャー、いわゆる「同調圧力」を感じさせてしまうほど強い集団的なエネルギーにはなりにくいからなのではないか、と思います。

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日本の社会を語る時によく登場するこの「同調圧力」。実は私も子どもの頃、かなり苦しい思いをした経験があります。小学校高学年から中学校半ば頃には、たとえ自分に興味がなくても、知らないと仲間に入れてもらえないものがたくさんありました。流行っているマンガ、流行っている歌、流行っているドラマ、流行っているキャラクター。楽しむためよりも、みんなの話題についていくために、必死でそれらの知識を仕入れようとしていました。

中学校生活も後半に入ると、周辺の友達の趣味や好みが少しずつ分かれていったせいで、背伸びをしなくても共通の話題を持てる友達と親しくなることができ、ずいぶん楽になることができました。高校受験が迫る時期でもあったので、みんな自分が周囲の話題についていけているかどうかよりも、自分自身のことで精一杯にならざるを得ないタイミングだったのかもしれません。

私の経験したドイツの社会は、はじめからこの「周辺のみんなの趣味や好みが分かれている状態」だったので、その点では本当に居心地の良い場所でした。それは大人だけでなく、有り難いことに子どもたちが飛び込んだ社会も、保育園のときからそうでした。アナ雪が好きな子もいればそうでない子もいるのが当たり前で、「エルサ?オラフ?誰それ?」という子どもにも疎外感を感じさせることのない場所。子どもたちがお互いの好みを尊重しながらのびのびと過ごしてくれたのは、同調圧力社会の経験者としては本当にほっとしたものです。

とはいえ、どこの国でも多かれ少なかれ「みんなが〇〇だから、自分も〇〇しないとやばい」というプレッシャーはゼロではないでしょう。「ストライプ たいへん!しまもようになっちゃった」は、アメリカで出版された絵本ですが、周囲の目線を気にするあまり、本当に自分の好きなものを好きと言えなくなってしまった女の子にふりかかる災難を描いたお話。初めて読んだときにはアメリカにも同調圧力はあるんだなあと思ったものです。

ドイツでの同調圧力案件といえばまず思い浮かぶのはスマートフォンで、「クラスでスマホ持ってないの私だけ!買って!」「スマホがないと友達と連絡取れないし、話の輪に入れない!」は、子どもがスマホをねだるときの常套句です。コロナ禍で外出が制限されていた期間は、スマホは直接会えない友達との貴重なコミュニケーション手段でしたから、これは本当に切実な欲求だったと思います。

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同調圧力とは異なるのかもしれませんが、サッカーもドイツではやはり別格な存在で、たいていのことにとは大人でも子どもでも「周囲で流行っていても、自分が興味を持てなければ無理しない」という人が多い中、ワールドカップや欧州選手権などのサッカーの祭典時になると、普段それほどサッカーファンではないと思っていた人まで嬉々としてサッカーを語り始めるのは何なんだろう……と思います。連日目の前でお祭りが延々繰り広げられているようなものなので、サッカーファンでない人もさすがに多少は乗っかったほうが楽しいし楽なのかもしれません。

人間が社会の中で生きていく上で、ある程度は周囲に合わせて行動することも必要かもしれませんが、趣味や嗜好など、その人のパーソナリティーの一部になっているものまでいちいち合わせたり変えたりしていてはストレスが溜まるだけです。少なくとも「相手と自分は違っているのが当たり前で、優劣はない」「合わない相手であっても、ある程度はそれを脇に置いてつきあえる」という作法は、子どものうちから身につけておいてほしいものですし、世の中が何か一色に染まっているようなときには、大人も心に留めておいたほうがいいのではないか。そんな風に思います。

今週もありがとうございました!次回のゆきラボもよろしくお願いいたします!

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