中野吉之伴フッスバルラボ

【きちログ】一人暮らしの僕にドイツの冬が襲いかかる。ドイツで一番うつになる季節は11月。草サッカーが僕を救ってくれた

フライブルクで最初のプレーできるチームを見つけた僕。

最下層に当たる10部リーグの最下位チームでも年間30試合のリーグ戦を戦うことができる。ホーム、アウェーの試合があって、どのクラブにもすばらしい芝のグラウンドがあることを知った。天然芝のグラウンドでプレーできる楽しさといったら。

リーグ戦を実際に戦うことで、リーグ戦の正しい意味がわかった。試合数を確保するとか、そういうことが本質ではない。自分たちが抱える戦力を年間通してどのように活用し、成長させ、乗り切るのかという総合力が求められる。

1週間に1試合というサイクルは本当によくできたシステムだと思う。

そんなふうにサッカーのほうでは毎回発見があったが、毎日の生活ではいろいろと苦労があったのだ。

▼ きちログVol.7

Vol.6 フライブルク生活がスタート。各国友達との交流、そしてサッカークラブに入団

ドイツに渡って半年。僕はドイツ留学プランを根本から変更していた(当時はまだ留学のつもり)。

1年間ドイツ語を勉強して、2年目でサッカー指導者としてクラブに関わって勉強して、それを日本に持ち帰るというほんわかとしたプラン。

でもまずそもそもドイツ語をある程度しっかりとしゃべられるようになるためには、どう考えても最低で2年は必要ということに気づいた。

当たり前にして当たり前のことだけど、日本の大学で学んできたドイツ語と、現地で必要なドイツ語は違う。当時語学学校で同じクラスに日本人の女性がいたけど、大学で4年間勉強してきた僕より、それまでドイツ語勉強0だけど滞在半年の彼女のほうが、圧倒的にドイツ語がうまかったもの。

サッカーでも、どんなジャンルの勉強でもそうだけど、何を、何のために、どのように学ぶのかはめちゃくちゃ重要な要素だ。

しかしドイツ語に2年を費やし、その後コーチの勉強やライセンス試験を受けるようにするとなると今度はビザが足らない。

語学学校ビザは最長で2年間。それ以上の滞在をするならば、学生になるか働くかという選択肢がでてくる。

ただこの時点で働くのはあまりにも可能性がなさ過ぎた。フライブルクにはそこまで多くの日本人がいるわけではないし、日本人の職人さんが働いている日本食レストランは1件だけ。

ビザがもらえるほどのところで働くというイメージが持てていなかったし、あまりにがっつり働いてしまったらサッカーに携わる時間が下手をすれば全くなくなってしまうのもやはり怖かった。

僕が選んだのは学生への道だった。外国人がドイツの大学で勉強するためには入学前にまずドイツ語試験DSHに合格しなければならない。(ドイツの大学に関する情報は最新のものではないので、現状異なる点もあることはご了承いただきたい)

指導者の勉強をこっちでするとしても、当然指導者講習会ではそれなりのレベルが求められるわけだし、この試験に合格するだけのドイツ語力は絶対に必要になるだろうし、試験というものに向けて集中的にドイツ語と向き合う時間は貴重になるはず。

そして大学に入れば学生ビザがもらえ、その後の指導者としての生活にも生かすことができる。ちょうど同時期、周りに何人かの大学を目指す友達がいたのも刺激になった。

よし、大学入学を目指すぞ!

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