中野吉之伴フッスバルラボ

【育成論】マラドーナと戦術とサッカー。天才選手と天才っぽい選手は当たり前だけど全然違うのだ

12月23日発売のNumberPLUS「ディエゴ・マラドーナ」に僕のコラムが掲載されています。90年ワールドカップの西ドイツ代表とマラドーナという話でまとめました。これまでWEBでは何度も書かせていただいているが、紙面登場は初めてのこと!

ほかにも多種多様なライター陣がマラドーナについていろんな角度から書いていますので、ぜひ手にとって読んでいただきたいです。

さて、当初WEB用に書いたコラムだったので、紙面掲載するにあたり編集の方に精査してもらった結果、内容的には面白いものの、テーマ的に少しそぐわないためにお蔵入りになった部分がありまして。

そこで今回はその未公開部分を含めたうえで、改めて僕とマラドーナという点でまとめなおしてみたものをアップしてみます。

一つの育成論として読んでいただけたらうれしいです。

▼ 指導者にとってのマラドーナという存在とは?

ドイツのサッカー指導者A級・プロコーチ(日本でいうS級)ライセンス保持者対象に行われる国際コーチ会議に参加すると、指導者仲間とよく戦術やサッカーのメカニズムについてのディスカッションが行われるものだ。

「相手との戦力差が大きい時の最適な試合運びは?」
「そもそも育成年代で気をつけておくべきチームとしての原理原則は?」
「どんな選手が、いつから、どのようにどんなプレーの役割を担うべき?」
「いまや攻撃的な選手でも守備における貢献は絶対!プレスの精度は生命線になる」

僕らはすぐにそこら辺にある裏紙に簡易のサッカーコートを書いたり、卓上のコップを使ってポジショニングやコース取り、スペースの使い方についてを激論する。そうやって「あーでもない、こーでもないと議論を重ねていると、必ずといっていいほど次のフレーズが聞こえてくる。

「まあでも、マラドーナは除いてね」

(残り 2892文字/全文: 3697文字)

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