中野吉之伴フッスバルラボ

【きちログ】11年に行ったチャリティイベントで南三陸の志津川中サッカー部へサッカーグッズを送った。当時のサッカー部メンバーとぜひ一度会ってみたい

▼ 東日本大震災から10年

ここフライブルクでは11年の震災のすぐ後から「日本文化の日」通称ジャパンデーという、有志ボランティアが東日本大震災を追悼し、日本文化を紹介する催しを、フライブルク市民大学(Volks Hochschule)の全面バックアップを得て毎年3月に行ってきました。

自分達に何かできることはないだろうか?

震災直後の、あまりのことに何も手につかなかった私たちにとって、実際にこうした催しものを企画・運営できたというのは私たち自身にとっての心の支えでもありました。

音楽家は音楽を、書道家は書を、料理の得意な人は手製の巻き寿司や和菓子を、と各自できることを持ち寄って始まったイベントを毎年繰り返してきています。

本当に毎年たくさんの市民の方々が足を運んでくださり、僕らの展示や発表を真剣に見ては、ほんとうに温かい拍手を送り、そして多くの寄付金をしてくれています。

残念ながら新型コロナウィルスの影響で昨年は中止となり、今年はオンラインのみの開催となりました。僕はこれまで被災地を訪問してきたレポートをドイツ語で発表していますし、ほかにも日本の伝統文化や工芸品を紹介するビデオが見れるようになっています。

フライブルク 日本文化の日

▼ 現地であった子供たちは元気だろうか?

僕が被災地に足を初めて足を運んだのは2015年1月。きっかけは11年震災後の5月にフライブルクで行ったチャリティ活動だった。僕の友人が仙台でキリスト教系列の慈善団体で活動していたので、何を送ったらいいかを相談してみたところ、地震と津波でサッカー用具がすべてダメになってしまっている地域があるので、そこの子どもたちのためにドイツのサッカー用品を集めて送ってもらえないか、とアイディアを出してくれた。それだと僕にもできることはある。

当時プレーしていたFCヴォルフェンバイラー・シャルシュタットが協力を快諾してくれた。SCフライブルクでプレーしていた矢野貴章選手も快く手伝ってくれた。日本人有志を募ったらすぐにたくさんの人がサポートを申し出てくれた。

友達の一人は熱狂的なサッカーファンだったのでスケッチブック片手にスタジアムを回り、数多くのサッカーファン、そして出待ちをしてサッカー選手にも日本へのメッセージを書いてもらい、写真を撮ってきてくれた。

チャリティーイベント当日には本当に多くの人が足を運んでくれた。シャルシュタットという人口6000n人ほどの小さな村だ。そこのトップチームでプレーをし、U13からU15まで育成指導者を務めていた僕を通じて日本を知って、日本のために何かできることを協力をしてくれた。

女子チームはユニフォーム一式を寄付してくれた。子どもたちはカードに丁寧にメッセージを書き、折り紙を一緒におってくれた。集まったサッカー用品は140を超えた。

ブンデスリーガ1部、2部の全クラブに協力していただけないかと連絡もしてみた。シュツットガルトから荷物が届いた。全選手のサイン入りユニフォームが入っていた。岡崎慎司選手が当時在籍していたから、というのもあるかもしれないが、個人でやっているこうしたチャリティに丁寧に対処してもらえたことを、本当に心から感謝をしている。

ほかのすべてのブンデスリーガクラブからも「日本のためにオフィシャルに寄付金を送っている」という連絡をいただいた。みんな日本のために、動いてくれていたことを知れたのがうれしかった。

僕はこのチャリティイベントをする前に、こんなことを考えていた。

1人の力でできることには限界がある。1人で何百万の人を幸せにしたりなんてできない。高名な政治家だったり、世界的なスポーツ選手だったら、そんなこともできるかもしれないし、そうすることが求められたりする。

でも僕は1人の人間で、1人のサッカーコーチでしかない。

じゃあ何もできないかというとそんなことはない。

僕は1人で何百万人にどうこうすることはできないけど、こうしたアクションを通じて100人の子どもたちを笑顔にすることはできるはずだ。

1人の子供の笑顔は1000人、
いやきっとそれ以上の大人を幸せにしてくれるんだ。

そうしたらほら、僕らはどんどん多くの人たちに笑顔を届けることができるはずなんだ。

ドイツ語でスローガンを作って、それをチラシに乗せて、それをモットーに取り組んできた。荷物は無事海を渡った。どこへどのように配るのかは現地の友人にすべて任せた。しばらくすると友人から連絡が届いた。

きちさん

本日、送っていただたいたサッカーグッズを
南三陸町にある志津川中学校のサッカー部にお渡ししてきました。

南三陸町は被害が深刻であり、志津川中サッカー部の子供たちはすべてのサッカー用具を津波によって失ってしまいました。

今回寄贈した物は子供たちに大変喜ばれました。また、多くの方々の思いが込められた支援物資だとお伝えすると、とても感謝されましたし。これから大切に使ってくれると思います。

特に子供たちは、矢野貴章選手が今回の支援に協力してくださったことや岡崎選手のサインが入ったシュツットガルトのユニフォームにとても驚き、笑顔を見せていました。

今回、このように子供たちを励ます支援をできたのは、きちさんのおかげです。
本当にありがとうございました。チャリティイベントに協力してくださった皆さんにどうぞよろしくお伝えください。

感謝を込めて



▼ 志津川中学サッカー部だったみなさんへ
そして現地で直接交流が持てたみなさんへ

僕はこれまでに2度南三陸を訪問している。15年には志津川中サッカー部で、17年には戸倉小学校フットサルチームのみんなと一緒にトレーニングをすることができた。17年には釜石にある中学校も訪問し、授業の一環としてドイツの話をさせてもらった。放課後にはちょっとだけだけどサッカー部の練習も一緒にやった。

どれもすごく楽しい時間だった。いっぱい交流を持てたと思う。でもどれもが一回限りになってしまっているのがやっぱりとても残念だし、なんとか次につなげていきたい思いは今もすごくある。

そして僕らがサッカーグッズを送った志津川サッカー部のみなさんとも、そして直接現地で交流が持てたみなさんとも、いつかどこかでまたつながりあうことができたらという夢を持ち続けている。

震災当時中3だった子は今はもう25歳になるのだろうか。15年にあった中学生も大学生年代。17年に会った小学生たちも相当大きくなっているのだろう。

僕らが集めて送ったサッカーグッズが今どこにどのようにあるのかというのを知ることができたら、あの時縁があってつながりを持てたみなさんが、今どこでどんなことをしているのかを知ることができたらとてもうれしい。

このコラムを読んで、思い当たる人がいたらぜひぜひ連絡をください。

今すぐには動けないけど、コロナが収まって日本にも気軽に帰られるようになったら、ぜひまた訪問したい。そしてできることならみなさんに直接お会いしたい。会っていろんな話をしたい。

そのときはぜひ、僕らの未来について話がしたい。

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