中野吉之伴フッスバルラボ

【対談】ブンデスリーガ審判が語った審判の楽しさと魅力。審判は《敵》なんかじゃない。サッカーを作り上げる仲間としての共通認識を持とう

▼ 同じクラブに在籍していた!

Number WEBのほうでアップされたブンデスリーガ現役審判マティアス・イェーレンベックさんとのインタビュー記事は読んでいただけただろうか?

こちらの企画は本誌《長谷部誠特集》用に「審判目線で見た長谷部誠評を聞けたらおもしろいのでは?」と提案してみたところ、オッケーサインをいただけたことで生まれたものだ。

とはいえ、ブンデス審判ってどうやったらコンタクト取れるんだ?

いろいろと調べてみたけど、コンタクト先がどうにも見つからない。コンパスも持たずに大海をうろうろしたところで見つかるもんかいと思い、近いところから手繰り寄せていこうと考え直し、僕がよく知る南バーデン州サッカー協会の友人に相談してみることにした。

すると、すぐに返事が来て「力になれると思うよ。ちょっと時間をちょうだい」といってくれるではないか。この友人は僕がドイツにきて一番最初に育成監督をしたクラブの育成部長だった人。もう15年以上の付き合いだ。

そして数日後には、イェーレンベックさんから《インタビューオッケー》のメールが転送されてきた。幸運にも同州内にいる審判であり、そして幸運にも僕が以前育成指導者として活動していた同じクラブの所属だったのだ。

当然共通の知り合いはたくさんいるし、たぶんどこかの一緒のタイミングでクラブハウス内にいたかもしれない。いや、人のつながりとは本当に面白い。

忙しい中時間を作っていただき、本当に丁寧にいろんな話をしてもらえた。審判の魅力について語られたこのインタビュー記事はぜひいろんな方に読んでいただきたい。

▼ 審判の楽しさと魅力。それを守るために僕らができることは?

審判をリスペクトしようという言葉はよく聞くけど、審判のことを理解して一緒にゲームを作ろうとする人はどれだけいるだろう。

日本では育成指導者自ら審判としてピッチに立たなければならないことが多いという事情がある。それならば審判としての大変さも人一倍わかっているはず。なのになぜ、審判への文句やヤジが相次いでしまうのだろう。

誰よりも審判を守るべき存在として関わってほしいと思うのだが、それは酷な話なのだろうか。

イェーレンベック 僕は審判をすることを選んだ。楽しかったんだよ。ひょっとしたら審判を楽しめる人は多くないかもしれないけどね(苦笑)。いろいろ文句を言われたりするわけだから。

でも、そこにはコミュニケーションがあり、身体を動かすというスポーツ的要素があり、決断を下すという要素もある。人間をまとめ、ゲームがうまく進行するように導く能力も求められる。そうしたことは、僕にとってはとても刺激的なことだったんだ。

イェーレンベックさんは審判の楽しさ・魅力をすごく丁寧に語ってくれた。大変なことは間違いなくあるし、簡単な役割ではない。彼のように審判に魅了されて、ピッチに立とうという人がやっぱり増えてほしいし、そうした彼ら・彼女らを大切に守り、大切に育て、一緒に楽しめる環境がどんどんできてきてほしい。

先日、千葉県サッカー審判協会で講習会をさせてもらい、審判なしサッカーについても話をしたが、目的は審判をなくすことではなく、そうしたサッカーを導入していくことで、サッカーへの理解をわかりやすくし、同時に審判の負担をなくし、そしてサッカーを作り上げる仲間としての共通認識を持つためのきっかけでしかない。

サッカーというスポーツの魅力はなんだろう?

そこへの問いは、いつでもどこでも持ち続けなければならないはずなんだ。「こうでなければならない」というルールや枠ありきでサッカーがあるんじゃない。サッカーをより魅力的で、より誰にでも、よりどこででも楽しめるようにあるのがルールであり枠なんだ。

既存のルールやオーガナイズ通りにやって、「子供達が全くボールに絡めない」「子供達が戸惑ってプレーができない」「子供達がサッカーをできていない」んだったら、疑うべきはルールやオーガナイズのほうで、子供達のほうじゃない。

※ 次ページではNumber WEBでは載せきれなかったイェーレンベックさんとの未公開部分をご紹介したいと思う。《外国人選手とのコミュニケーション》《ブンデス選手とアマチュア選手との違い》《審判にとってのいい試合とは?》《若いこれからの審判へのメッセージ》など興味深い話ばかりだ!

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