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中野吉之伴フッスバルラボ

【きちログ】ドイツで指導者を始める前に哲学を学んでいたという話。なぜ?という問いを立てる能力って大切だ


キチログ~渡独後の歩みを思い出しながら徒然につづる回顧録~

▼ 自分の殻をこじ開けられなかったあの頃

ドイツにきて1年半、外国人学生がドイツの大学へ入学するために必要なDSH試験に無事合格した僕。大学入学資格を手にしたことでようやく少し視界が開けてきた。ただ大学登録で行き違いがあって、そのまま冬学期スタートはできず、半年後の夏学期まで待たなければならなかったけど、この時間は僕にとっていろんなことを考えて、学ぶためのすごく貴重なものになったんだ。

元々僕はサッカーの指導者としてドイツに来た人間だ。しかもプロ指導者を目指すわけではなく、地域に密着したドイツのスポーツ文化を体験したい、その中で育成指導者として子どもたちと関わり合いをもって、スポーツってなんだ、育成ってなんだ、成長ってなんだというのを肌で感じたいというのが一番大きかった。

そんななか、ビザの関係もあったし、いろんなことを学びたいと思って大学入学を決意してここまで準備をしてきたわけだけど、実際に大学で何をどのように勉強しようというのを改めて考える時間が持てたというのはよかったと思う。

《王道》というか、「スポーツを勉強するならスポーツ学ね」というふうなのはなんか嫌だった。たぶんあまのじゃくなだけなのかもしれない。でもスポーツを学問として学ぶことにどこかしら抵抗があったことは否定できない。

アカデミックな小難しいことで語られるものじゃないんだ、スポーツっていうのは!という、逆にめんどくさい思考回路に陥っていたのかもしれない。

そう思ったのはたぶん、日本で窮屈な思いをしてきたからなのかな。主観的な判断しかできないし、どうだったらよかったのかなんて今の僕にもわからない。

でも心から叫びたいものがあるのに、それを必死に押し縮めて小さくまとまり続けなければならないという強迫観念が僕を形作る何らかのものになっていたのは感じていた。

そんなの嫌だって思って、自分にできるだけの反抗をしようとしていたけど、あくまでも表面的なことしかできない。それに今思うとわかるんだけど、自分がやりたかったのは押し込められたものを跳ね返そうとすることじゃなかったんだ。

《日本でいい大学に進学することが大切なんだ》という世間からのプレッシャーに歯向かいたくて、でもだから勉強しないとか、壁を作るような態度をすることで、自分が心地よさを感じたりするなんてこともなかった。

世間的に良いとされる道を歩くことの反対として、そうした道を歩こうとしないということをしていただけ。

でもそうじゃないんだ。

自分がやりたいものへ、やりたいことへ、自分の感情を解放して、ワクワクして、笑顔になって、必死に取り組みたいってことだったはずなんだ。

プレッシャーに歯向かいたいなら、自分のエネルギーを向けられるものを探す方に力を注げばいい。
大学ではない道を見つける、あるいは道を作るやり方を学べばいい。

それができなかった。自分のやりたいことは自分で見つけると思いながら、口にしながら、でも枠からはみ出すことが怖くてしょうがなかったあのころ。

だからドイツに渡るというのは僕にとって、そうした自分の殻を内側からぶち破るための最大できっと唯一のチャンスだったのだろう。たぶんね。

ただ、ドイツに渡ったからって、それですべてが変わるなんてことは、ない。
劇的にすべてが好転するなんて魔法は世の中には存在しない。

大事なのは自分が納得して、真剣に喜びをもって取り組みたいと思うものと出会うことで、そのために動き回ることだと思うんだ。

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