中野吉之伴フッスバルラボ

【育成論】試合に出られないのは子どもの努力不足?健全な成長のために試合環境を準備するのは僕らの義務だし、子どもたちの権利

▼ 試合に出られないのは努力不足なの?

試合に出られない子供がいませんか?
指導者から雑な扱いを受けている子どもがいませんか?
頑張っても頑張っても認めてもらえない子供がいませんか?
これって子供の努力が足らないのが悪いんでしょうか?
ほかの子はもっと頑張ってるからうまくいってるってこと?
だから親は《我慢して頑張りなさい》というしかないんでしょうか?

違うよ。

そもそもの前提条件を考慮せずに、努力の一般化で物事を考えるのは危険。それぞれの子どもはそれぞれの成長スピードあるし、それぞれに特徴がある。

だからほかの子と比較をするのではなく、その子自身が以前と比べて何ができるようになったのかをちゃんと見てあげることが必要だし、それぞれが健全に成長していくために十分な試合環境を提供するのは至極当然の義務だし、彼らの持つ権利。

なのに、日本でそうしたあり方がいまだに変わらないのは《危機感がないから》と《危機感が強いから》の両方だと思うのだ。

《危機感がない》というのはやり方を変えなくても今のやり方でそこそこうまくいくし、選手も親もついてきてくれると思い込んでいるから。

そして《危機感が強い》という面に関しては、そうではないやり方を受け入れたら、自分のこれまでのやり方を使うことができず、結果として自分の居場所がなくなってしまうということへの危機感。

どちらもさもありなん。

もちろん人間誰だって完ぺきではないので、そりゃ何もかもを思い通りになるなんてことはないだろうが、でも明らかに《それって人権侵害じゃない?》というのはあってはならない。

そうしたことが平然と行われていながら、それを見て見ぬふりをしなければならないというのは、何かが歪んでしまっているからではないだろうか。

《昔からの経験者は若い世代の人の話を聞こうとしない》という嘆きを聞いたことがある。そうかもしれない。受け入れるかどうかはその人次第。それをこちらから強要することは確かにできない。

でもだからといって、その人が《何らかの立場に無条件で居座り続けることができる》というのはおかしな響きがしないだろうか?

自分達にとってよろしくないことが起こっているならば、適切ではない人にはご退場願えるような仕組みがないといつまでたっても、「いつか」はこないんじゃないかと?

一般企業であればもう普通にリコールされるようなことがスポーツ業界だったらなぜか暗黙の了解でもみ消されてしまう。それはしょうがないことじゃなくて、ダメなことでしかない。

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