中野吉之伴フッスバルラボ

【ドイツ便り】サンフレッチェ広島新監督ミヒャエル・スキッベってどんな人?これまでの経歴と特徴をまとめてみた

▼ ドイツ育成改革に携わった指導者

ドイツ人指導者ミヒャエル・スキッベが来季のサンフレッチェ広島新監督に就任したと報じられた。

オフェンシブなサッカーを志向しつつ、チーム事情に応じて組織的な守備にもしっかりと取り組む。ドイツ人指導者らしく厳格なディシプリンをベースに取り組むが、クリエイティブなプレーにもどんどんチャレンジさせる勇気もある。チームをすぐ優勝争いに導く指導者ではないかもしれないが、チームの土台を作り上げる手腕には定評がある。積極的に若手も採用する点にも注目だ。

スキッベという指導者を言い表すとそう感じになるだろうか。

2000年初頭、不振に陥っていたドイツサッカー界を立て直すべく、協会主導で根本からの育成改革を推し進めたことは有名だと思われるが、その時の中心人物の一人。

90年代のドイツは《90年W杯、96年欧州選手権優勝国である自分たちはもはや他から学ぶことなどない》と信じ込んでいたため、ファンだけではなく、多くのサッカー関係者も自信を超えて思い上がっていた自分たちの姿を疑うことができないでいた。

それでも当時すでに警鐘を鳴らしていた指導者がいた。それがラルフ・ラングニック、フォルカー・フィンケ、クリストフ・ダウム、そしてスキッベといった指導者達だ。

他国が精力的に4バックやゾーンディフェンスといった新しいことに挑戦している中、ドイツでは昔と変わらず「練習はフィジカルとマンツーマン主体の守備練習が80%」とラングニックは嘆き、「今の割合が逆転しなければドイツに未来はない」と訴え、来たるべき時のために話し合いを重ねていたという。

スキッベが次のように話していたことがある。

「我々はドイツ全土に育成アカデミーとシュツットプンクトを整理することができたと思う。その後20年間かけてさらに投資され、今では非常にプロフェッショナルとなった。当時私たちはそれなりの投資を育成へと投じるべきだと主張し続けていたからね。私がDFBにいたときから、相当発展したと思う」

育成環境、グラスルーツ環境を徹底的に整理したドイツはがっちりとした土台を作り上げ、2014年W杯では優勝。ここ最近はバイエルンであらゆるタイトルを獲得したハンシィ・フリック新監督のもと、新たな時代へと突入している。

さて、そんなドイツサッカー貢献者の一人であるスキッベとは、どのような経歴をたどってきた指導者なのだろうか。

▼ 33歳でプロチーム監督デビュー

1965年ゲルゼンキルヒェン生まれ。シャルケのユースからトップデビューを飾り、U18ドイツ代表にも選ばれていたが、2度の膝の十字靱帯断裂という悲劇にあい、現役引退を余儀なくされる。

22歳で指導者としてシャルケの育成チームで指揮を執るようになった。そして2年後には永遠のライバルクラブであるドルトムントユースコーディネーターとして移籍。U19やセカンドチームの監督を務めていたスキッペは1998年、それまでトップチームで監督を務めていたネビオ・スカラが解任となった後に、暫定監督としてプロチームでの監督デビューを飾った。2シーズン目はうまくいかずに途中解任となったが、デビューシーズンはチームを4位に導いたことは素晴らしい。

それにしても、日本では若い指導者にチャンスを見たいな話が最近出てきているが、90年代ですでにドイツでは33歳でトップチームで監督をしている人がいたという事実は非常に印象的だし、それ以前に20代でユースコーディネーターのような責任あるポストに抜擢する人事がすごい。

結局、変わろうと思っているだけではいつまでたっても何も変わらない。無謀に何でもやればいいわけではないが、明確なビジョンとともに、賢明さと勇敢さをもって新しいことにチャレンジし、それをクラブとして全力でサポートするような方向性が大切なのだろう。

2000年、ドルトムントのユースコーディネーターに戻っていたスキッベにDFBからオファーが入る。代表監督に就任したルディ・フェラーのアシスタントコーチにつくことに。チーム全体を見るのがフェラーで、スキッベは戦術担当として細部へのアプローチを行っていた。下馬評が決して高くはなかったドイツ代表を02年日韓ワールドカップで決勝まで導いたのはスキッペの力によるところも少なくない。

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