【ドイツ便り】ケルン時代のあの日、槙野智章は何を思ってサッカーと向き合っていたのだろう?
▼ 槙野智章のケルン時代
2021年12月19日、日本では第101回JFA全日本サッカー選手権大会天皇杯の決勝戦が行われ、浦和レッドダイヤモンズがトリニータ大分を2-1で下し、3シーズンぶりの優勝を果たしている。決勝ゴールがアディショナルタイム3分に生まれるというドラマティックな展開に、サッカーの素晴らしさをみなさん感じたことだろう。
さらに土壇場でゴールを決めたのが今季限りでチームを退団する槙野智章だったというのにも感動させられるものがある。千両役者とはこのことか。
僕にとって槙野といえばケルン時代を思い出す。正直出場機会に恵まれていたわけではない。やることなすことすべてうまくいったかというと、そうではないことのほうが多かったのかもしれない。
それでも僕の中には印象深いシーンがいくつか残っているのだ。
2011年12月16日、槙野が所属するケルンは16節終了時で首位に立っていたバイエルンとのアウェー戦に臨んでいた。クラブ生え抜きのエースFWルーカス・ポドルスキ中心にチーム作りをし、この段階で10位と悪くない位置につけていたケルン。
ただ槙野の立ち位置は厳しいところがあった。11年1月にチーム加入したが、初年度は途中出場5試合止まり。真価が問われる2シーズン目も出場機会をなかなか与えてもらえないままで、この試合でもベンチスタート。
ポジション的にも途中出場という流れはあまりない。この日も出場機会なしで終わりかと思われていたが、10分過ぎに右WBミソ・ブレツコが負傷したことで、14分から急遽途中出場することになった。
3バックの右サイドに入った槙野にとってはスクランブルでの出場となったが、慌てることなくしっかりと役割をこなしていく。カバー意識を高く持ちながら、相手FWの足元にボールが入ったところを狙い、トーマス・ミュラーやアリエン・ロッベンからボールを奪うシーンもあった。
後半2失点したあとに、ケルンのソルバッケン監督は4バックへ変更。槙野は右SBへポジションを移すと、攻撃にも顔を出すように。72分には槇野の縦パスからヤヤロがミドルシュートへ持ち込む場面やタイミングよくペナルティエリア内に走りこんだりと、試合こそ0-3で敗れたが、精力的なプレーの連続で好印象を残したのだ。
僕はスタジアムでこの試合を取材していた。試合後ミックスゾーンで彼の語った言葉も残っている。それをご紹介したい。
(残り 3381文字/全文: 4377文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ