【対談】シンキビッツ「やっかみや妬みが強すぎるドイツ社会からスーパースターは生まれない」
▼ ルーカス・シンキビッツとの対談②
今回はまず対談相手のシンキビッツについての紹介を。
たぶん日本ではそんなに知られていない選手かもしれない。ドイツ代表歴は3試合。ブンデスリーガが好きな人は別として、雑誌で大々的に特集されたことがあるわけでもない。
知ろうにも情報アンテナに入ってこなくても不思議ではないし、同じ《ルーカス》の名前を持つ《ポドルスキ》とケルンの育成でずっと同期、という扱いにされてしまったりする。メディア的にはそれもしょうがない。
でも、世界中の誰もが理想的なキャリアで華々しいプロ生活を送ってるわけではないし、世界的に知られている選手だけが優れているわけでもないのだ。代表歴がなくてもクラブの象徴として輝かしい存在となった選手だってたくさんいる。
シンキビッツもその一人だ。
1.FCケルンU12/U13時代の監督ギド・ミュラーは「当時はポドルスキよりもシンキビッツのほうが高く評価されていた」と教えてくれたことがある。選手としてのクオリティだけではなく、「チームをまとめ、自分から率先して声を出していくことができるリーダーとしての資質がすばらしかった」と。
ケルンのトップチームでデビューを果たしたシンキビッツはクラブの象徴として確固たる地位を築いていく。ファンに愛され、仲間に信頼されたシンキビッツがキャプテンに任命されたのは自然なことだった。
ユルゲン・クリンスマンは2005年にシンキビッツを代表チームへと招集。将来が期待される若手DFとして注目を集めたが、ただ度重なる膝のケガが原因でそこからさらなるキャリアアップを果たすことはできなかった。それでもその後に強豪レバークーゼンへ移籍を果たし、3年間で39試合に出場。アウグスブルク、ボーフム、レーゲンスブルクでプレーをした後、15年にプロ選手生活に別れを告げている。
プロ選手はいくつものクラブを渡り歩く。自分がサッカー選手として生まれ育ったクラブとの関わり合いがなくなってしまう人も少なくはない。だがシンキビッツは違う。
19年FCレベニックで復帰。9部リーグに所属していたレベニックが降格危機に瀕し、親友の一人で同クラブで監督を務めるジノ・バウドリの誘いを受けて、古巣を助けるために立ち上がった。
バウドリ ルーカスはすごい存在感がある。若い選手にとってお手本となる立ち振る舞いが素晴らしいし、まさにリーダータイプだ。ケガの影響があるからトレーニングにフル参加することはできない。でも彼のような存在が一緒にいてくれることがもう本当に素晴らしいことなんだ。彼は僕らの一員なんだ。脱帽するよ。
加入後13試合に出場し、3ゴールを決めるなどチームをけん引し、見事残留の立役者となった。クラブも地元の人たちも英雄の活躍に心躍る瞬間を何度も味わったことだろう。
サッカー選手はプロ選手になって終わりじゃない。プロになれなかったからと引退を口にして終わりじゃない。
サッカーが築き上げてくれた人との縁。その縁が生み出してくれた喜び。自分を形作る根幹を大切にして、そこに関われることの素晴らしさを共感して、それを後進へとつなげていく。
上ばっかり見て足元おろそかにするなよ。下ばっかり見て広がる空を忘れるなよ。どっちかじゃないんだ。どれもがつながりあっているんだから。そんなサイクルが自然とそこにある。そんな関係性を僕も大事にしていきたい。
サッカーと生きる。
それをこれからも追い求めていきたい。
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