中野吉之伴フッスバルラボ

【追悼】愛弟子でもあるマリオ・ハースの言葉から考察するオシムの哲学

▼ 一度だけあったトレーニング見学

イビツァ・オシムさんは僕にとって大きな存在だった。個人的にオシムさんと直接言葉を交わしたことはない。唯一ある接点といえば、07年日本代表がオーストリアのクラーゲンフルトで行われた4か国対抗戦(オーストリア、スイス、チリ)に取材で訪れたときのことだ。

練習取材にも行けた。そういえば湯浅健二さんと一緒に練習を見ながらいろんな話をしたんだった。僕らが座っていたすぐ後ろに日本メディアの人がめちゃくちゃいるのに、「日本メディアにはサッカー知ってる人がほとんどいないから。なぁ中野君」とふられて、いやいや、僕が仕事している新聞社の記者もいるんですけど、と思って苦笑いしかできなかったのはいい思い出だ。これは余談。

オシムさんのトレーニングは難解だという声があるし、当時の僕も練習の意図がわからなくて、メモをどのようにとったらいいだろうと思ったりもした。

でもいまは思う。

サッカーという視点からそのトレーニングを見たら、実はとてもシンプルなことをしようとしていたんじゃないだろうかって。

結果として複雑に見えることでも、一つ一つを紐解くと選手が理解できるような仕組みがたくさんあった。理解できるようになるとは、トレーニングをしてすぐにわかるということではなく、トレーニングを積み重ねていくことでわかるようになっていくというアプローチだ。

これって大事なポイントだと思う。

複雑なトレーニングをしようとしてやっている指導者がいる。それも増えてきている。サッカー界はいろんな要素が取り上げられて、いろんな新しい理論が提唱されている。それ自体は素晴らしいこと。でも、忘れてはいけない。

サッカーはサッカーだって。ボールスポーツで、チームスポーツで、ゲームだ。だから僕らはサッカーからの視点を絶対になくしてはいけないんだ。

さて、そんなクラーゲンフルト滞在中にジェフでも、シュトゥルム・グラーツでもオシムさんのもとでプレーしていたマリオ・ハースにインタビューさせてもらった。

愛弟子でもあるハースの言葉を参考に、オシムさんの哲学について考察してみたいと思う。あくまでも個人的な考察だ。実際にオシムさんがどう思って、考えて発した言葉かは本人に聞かなければわからない。でも、言葉とは伝承手段だ。

その言葉から僕らがどのように受け止めて、解釈をして、消化して、それを伝えていくかが大事だと思うのだ。

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