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【INTERVIEW】福田浩一さん〜名言「風のようにターレス」誕生秘話と、表現者としての立ち位置

20211225福田さん

熊本が4季ぶりのJ2復帰を決めた、今シーズンの明治安田生命J3リーグ・第30節のFC岐阜戦。DAZNの中継をご覧になった方はもちろん、スタジアムで歓喜の瞬間を味わい、その後改めて映像を見直した方なら、誰もがそのフレーズを耳にしただろう。熊本サポーターのみならず、J2昇格争いの行方を見守った多くの人たちに強烈な印象を残した「風のようにターレス」という言葉とともに、感極まった涙声になりながらも、何とかそれを抑え、プロとして昇格と優勝を伝えようと努める様子が、見る人の感情をいっそう揺さぶった。このゲームで実況を担当したのが、フリーアナウンサーの福田浩一さん。名言誕生の背景と、そこに至るバックグラウンドについて話を聞いた。(取材日:2021年12月17日)

 

音楽教員を目指した少年時代と、サッカーとの出会い

生まれたのは1962年の5月3日です。古い家の一人息子なので祖父が喜んで、すぐに大きな鯉のぼりを買って立ててくれたそうです。父は教育行政に携わる熊本県教育庁の役人で、母は教員ということで、教育には熱心だったこともあってか、熊本大学教育学部附属幼稚園に入りました。

 父がそういう仕事をしていたものだから、小さい頃から同僚の皆さんが家に集まって、熊本の教育を熱く語りながら宴会をすることが多く、自分も「浩ちゃん、浩ちゃん」と可愛がってもらったのを覚えています。それで、「この人たちと同じチームの一員になるには、同じ道に進むしかないな」と、自然と教職員の世界を目指すようになりました。

 小学校も熊本大学教育学部附属小学校で、自分で言うのも何だけど、勉強は割と何でもできたんです。両親は僕にアーティスティックなことをやらせたかったらしく、何がこの子に合うのか、色々と試してくれたと思います。その中でも「絵は違うな」と自分でもわかっていて、ピアノはないけど家にオルガンがあって、週に1回、先生が教えにきてくれていました。小学校1年生の時の担任だった渡辺欣也先生は熊本交響楽団のホルン奏者で、2年生の時の担任も音楽専門。家族でコンサートを聴きに行ったりする環境で、音楽は身近にある「かっこいいもの」のひとつでした。それで、4年生で正式に学校選抜の器楽部に入りました。

 器楽部では打楽器担当で、ティンパニがメインです。失敗するとものすごく目立つパートでした。6年生の時に、RKK(熊本放送)の器楽合奏コンクールで優勝させてもらうんですけど、打楽器を担当したのには理由があって、鍵盤楽器ができなかったんですよ。オルガンを習っていたけど、赤バイエル、黄色バイエルの次に習う「ブルグミュラー」の「アラベスク」という曲にどうしてもたどり着けなくて。今でも音楽関係のイベントに関わらせていただく時に、その話をすると鉄板でウケます(笑)。割と何でもできて勘違いしていた自分にも、「できないことがあるじゃん」と、その時に思いました。そんなに真面目に練習もしていなかったんですけど(笑)。

小さい頃から「教員になるんだろうな」と思っている中で、じゃあ何の先生かと考えて、学校で将来の夢を書いたりするときには「音楽の先生」と書いていたんです。でも鍵盤ができなかったから、結局、中学では英語、高校では国語の先生に戻ったんですね。なぜ国語だったかというと、言葉使いについて学校や家庭で幼い頃から丁寧に教わっていたり、大人を屁理屈でやり込めて先生から叱られたり、「なぜそう思うのか、言葉で伝えなさい」と教育されていたからかなと思います。両親とも教育に関わっていたこともあり、内心は色々思うところもあったんでしょうけど、食卓では学校の先生の意向を尊重して、「先生がそうおっしゃるなら、がんばらにゃんたい」と言われていました。僕の目の前で先生や学校を批評することは一度もありませんでしたね。

 熊本大学教育学部附属中学校でも、打楽器をもっと頑張ろうと思っていたんですが、コーラス部はあったけれど楽器を演奏する部活がなかったんです。道向かいにある熊本市立京陵中学校から、自分がやっていた打楽器の粒が揃った音が延々、聞こえてきていて、「こりゃすごいな」と。高校に上がってから入ることになる「熊本ユースオーケストラ」も当時すでにあったんですが、「音楽の先生にはもうなれないだろうな」と薄々思っていたので、そこまでしてやらなくても良いかと。

一方で、グラウンドでは野球部とサッカー部、遠くの方で軟式テニス部が練習していました。そこで野球を選ばずにサッカー部に入ったのは、小学校の時の先輩から「サッカー部においでよ」と誘われたのがきっかけです。附属小学校は1学年3クラスくらいなので、上級生も顔見知りなんですが、小学校の半ズボンの制服から、中学の長ズボンの制服になるのがすごく大人な感じで、詰襟の制服も格好良く見えて、その先輩が誘ってくれたというのが大きかったんじゃないかな。メジャーな野球への反骨心もあったかもしれません。それがサッカーとの出会いです。小学校では卓球部の部長も兼任していたんですが、チームスポーツを本格的にやるのは、これが初めてでした。

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