「ゼルビアTimes」郡司聡

【元町田戦士の現在地】太田康介選手(ツエーゲン金沢)『3年ぶりのカテゴリーで』

▼慣れ親しんだNACKのピッチ
2012年11月11日、J2第42節・湘南ベルマーレ戦。“野津田”でJFL降格が決まったあの日以来、3年ぶりにJ2のピッチに立った太田康介の眼前には、オレンジで染まった大宮サポーターが映っていた。

「ここは(浦和東)高校時代から慣れ親しんだグラウンド。オレはアルディージャを倒しに来た」。

感傷に浸る暇もなく、2015シーズンのJ2開幕を告げるキックオフの笛が鳴り響くと、自身の所属するツエーゲン金沢が試合を優勢に進めた。太田のポジションは4バックの右CB。昨シーズン、J3優勝の原動力となった金沢の“堅守”の中心的存在だった太田を擁する最終ラインは、開幕戦の相手である大宮を大いに苦しめた。

J2でも有数の個の力を誇るセルビア人ストライカー・ムルジャ、年代別代表で名を馳せた家長昭博ら、J2でも屈指の攻撃力を誇るチームを相手にしても、体を張った守備で対応。廣井友信、チャ・ヨンファンといったCBタイプの選手が最終ラインに4枚並ぶ“スクランブル布陣”だったが、「コミュニケーションを取りながらやれたと思う」(太田)。試合後、大宮の攻撃陣は「金沢の守備は堅かった」と口をそろえた。

太田自身もポジション上、ムルジャと数多くマッチアップ。サイドからのクロスボールには精一杯体を伸ばしてはね返し、45分にはムルジャのポストワークをブロック、プルアウェイの動きにも細心の注意を払いながら、適切なポジショニングを続けた。

「個で戦うのではなくて、うまく連係を取りながらプレーをできたと思う」

そのムルジャは66分に負傷を訴えてピッチを去っている。もちろん、守備一辺倒で終わったわけではない。相手のプレッシャーが緩いと見るや、持ち味であるフィードで何度か局面も打開した。しかし、それでも本人は「もっとさばく場面を作れれば良かった」と反省の弁を口にする。
J3からの昇格組とJ1からの降格組である金沢と大宮の対戦は、スコアレスで時間が推移。後半の金沢は決定機こそなかなか作れなかったものの、自慢の堅守で持ちこたえていた。

▼J2の洗礼
しかし試合が残り5分を切ったころ、金沢にJ2の洗礼が待っていた。86分、大宮に強引に中央から攻撃をしかけられると、耐えていた金沢の守備網が決壊。ゴール前の混戦から最後は家長に右足シュートをブチ込まれた。

歓喜に沸くNACK5スタジアム大宮をバックに、うなだれる金沢イレブン。先制を許したあとも懸命に反撃に出た金沢だったが、93分には秋葉勝のクロスに太田が頭で合わせるもヒットせず。最後まで1点が遠かった。

「ちょっとした差で試合を決定付けられてしまうのがJ2の舞台。ひとつ上のカテゴリーに来たんだなとあらためて思った」

2012シーズンの町田在籍時代にも、J2のクオリティーに何度も苦汁を舐めさせられてきた。3年ぶりのJ2でも、J3とは違うクオリティーと対峙しなければならないことを太田はあらためて認識していた。

開幕戦を僅差で落とした金沢だったが、3月15日に行われたクラブにとって記念すべきJ2ホーム開幕戦の東京ヴェルディ戦は、3-0の完勝。昨シーズンのJ3王者の力を見せ付ける結果となった。

それでも、J2の舞台は簡単に連勝できるほど、甘くはなかった。3月20日に行われたホームでの横浜FC戦は、太田が与えた直接FKから先制点を許し、「自分のファウルから失点してしまったので、何としても取り返そうと思っていた」という太田が同点ゴールを決めたものの、53分には横浜FCに突き放されてしまい、1-2で敗れた。

1勝2敗で始まった3年ぶりのJ2の舞台のスタートの手ごたえをメディアに問われた太田は、次のように話したという。

「もっと精度を高めないと厳しい。個人個人がもう1ランク上がらないと、勝ち点は見えてこない」

所属する金沢の、J2初年度の目標である残留に向けて、個々のレベルアップを誓った太田。再びJ2の舞台に舞い戻ってきた男の奮闘は、まだ始まったばかりである。
(文中敬称略)

【プロフィール】
太田 康介(おおた・こうすけ/ツエーゲン金沢所属)
1982年10月26日生まれ、埼玉県出身。175cm/75kg。浦和東高校→中央大学→埼玉SC→ザスパ草津(当時)→横河武蔵野FC→FC町田ゼルビアを経て、2014シーズンにツエーゲン金沢に加入。2010年から2013年の町田在籍時代は主にCBやボランチのポジションで起用され、13年はチーム主将も務めた。日本代表GK川島永嗣は浦和東高校の同期。J2通算41試合出場5得点。J3通算33試合出場7得点(2015年3月27日現在)。

取材協力/野中拓也(エル・ゴラッソ/ツエーゲン金沢担当)

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