「ゼルビアTimes」郡司聡

【元町田戦士の現在地②】下田光平選手(ブラウブリッツ秋田)『意地を見せた男の本音』

▼あれから3年

下田光平が“野津田”を主戦場にしていたシーズンは、仮設だったメインスタンドが、今では立派なメインスタンドになった。時の移ろいに下田は「ビックリした。立派なスタジアムができて、こんなスタジアムが僕たちにもできてほしい」と素直に思ったという。

2012シーズン以来、町田市立陸上競技場のピッチに立った下田は、赤いユニフォームを着ていた。背中には少々大きい番号である『43』。地元・秋田のJクラブ、ブラウブリッツ秋田で彼は今、ボールを追っている。

古巣・町田戦のポジションは3バックの一角、左CB。[3-4-2-1]システムのビルドアップではボランチの一角が最終ラインまで落ちて変則4バックを形成するパターンが主流だが、この日の秋田は基本的に3バックでビルドアップを完結させる「3枚回し」。町田が2トップだったため、「3バックで回したほうがワイドが空く」(下田)という考え方から導き出されたものだ。

「3枚回し」か、変形4バックを形成する「4枚回し」か。どちらを選択するかは、相手のシステムや状況を鑑みて決めているという。その根底には、「情報を与えて選手たちが考えながらチームを成熟させている段階」(下田)という間瀬秀一新監督なりのチーム作りへの哲学がある。指揮官の考え方を具現化しようと、下田は不得手なビルドアップにも積極的にトライを重ねていた。

守備ではかつての盟友・鈴木孝司とのマッチアップを筆頭に、ロングボールの競り合い、カバーリング、際どいクロスボールへの対応など、秋田の最終ラインに穴を開けまいと必死で相手に食らい付いた。ビルドアップでミスをすることもあったが、前半アディショナルタイムの46分には、ブレ球の直接FKを蹴るシーンも作った。

 

▼間瀬秀一監督の哲学

チームが1点リードで迎えた後半は防戦一方となった。町田はアタッカーの宮崎泰右や重松健太郎を投入し、攻撃のギア全開で反撃開始。下田も水際で相手の攻撃をはね返すなど、最終ラインで耐えに耐えた。そして、3分のアディショナルタイムが経過すると、勝利を告げるホイッスルが鳴り響く。秋田の新指揮官・間瀬秀一監督はベンチ前にて両手でガッツポーズを作り、下田は勝利した選手たちを出迎えるベンチの選手たちと歓喜のハイタッチを繰り返しながら喜びを表現していた。

かつてジェフ千葉を率いていた元日本代表監督イビチャ・オシム氏の通訳として、長年、世界的指導者の下でコーチ業を勉強してきた間瀬監督の就任と、同じタイミングで秋田に移った下田。運命的な出会いと言っては大げさだが、この監督の下であれば、もっと自分が成長できるという手ごたえもつかんでいるという。下田は言う。

「秀さん(間瀬監督)は(東京)ヴェルディや(ファジアーノ)岡山のコーチをやっていたし、オシムさんの影響も受けたんだろうけど、それぞれの監督の良さを僕たちに伝えてくれているという感じがする。決してオシムさんだけという感じではないし、柔軟性もある。『これをこうやりなさい』と言ったほうが結果を出しやすく、短いスパンでこうやれと言ったほうが即効性は出やすいと思う。でも秀さんは基本的な情報は与えるけど、あとは選手でやりなさいと任せてくれる監督。例えば、リードしていながらも押し込まれていた後半は『引いて戦おう』と自分たちで判断することができた。僕自身、常に考えないといけないし、考えてサッカーをやる部分に関してはすごく伸びると思う。今までの監督の中で一番考える部分が多いし、まだまだ自分自身考えられていない部分が試合中にもある。でも考えてサッカーをすることを1年やれば伸びると思う」

下田にはもうひとつ今のチームでのやりがいがある。それは地元・秋田でプレーするということ。本人は「地元でプレーできることはうれしい。秋田をJ2に行けるチームにしていきたい」と強く願っている。しかし、J2昇格までの道のりは険しく、スタジアムや観客動員数のハードルをクリアするにはまだ至っていないという。ただ選手たちにできることは、結果を出して可能性を少しでも広げること。それが彼らの本分でもある。

 

▼ミックスゾーンの去り際に

下田にとって、3年ぶりの野津田のピッチには勝利という結果が刻まれた。一方で、「懐かしいという思いもあったし、町田での1年は悔しい思いもたくさんした。でもあの悔しさが、(そのあとに移籍した)長崎でも力になった」と、ゼルビア在籍時代を振り返った。

「孝司に点を取られなくて良かったー」

ミックスゾーンの去り際に思わず、男の本音が声となって表れた。かつて同じ釜の飯を食った鈴木孝には「絶対にやられたくなかった」と繰り返した言葉に力を込める。

「いまからバスで帰ります。多分着くのは夜中の2時ですよ」

時計の針は、17時を少し回っていた。秋田のシモは、充実した表情を浮かべながら、仲間が待つチームバスへと向かった。

【プロフィール】
下田 光平(しもだ・こうへい/ブラウブリッツ秋田所属)
1989年4月8日生まれ、25歳。秋田県出身。180cm/73kg。FCあきた→秋田商業高校→FC東京→水戸ホーリーホック→FC東京→FC町田ゼルビア→FC東京→V・ファーレン長崎を経て、2015シーズンよりブラウブリッツ秋田に移籍。2012年途中から在籍した町田では主にボランチと3バックのポジションで起用された。J2通算78試合2得点。J3通算2試合出場(2015年4月1日現在)。

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