「ゼルビアTimes」郡司聡

【★無料公開】【コラム】J2第17節・清水エスパルス戦/『少年サッカーの街対決』。目標としてきたその背中

■明治安田生命J2リーグ第17節・6月8日(水)19:00キックオフ
町田市立陸上競技場
FC町田ゼルビア vs 清水エスパルス

▼万感の思いを胸に

『少年サッカーの街対決』と謳われた清水エスパルス戦を前に、クラブの創始者の一人である守屋実相談役は、万感の思いを抱いている。

「清水FCという少年サッカーの世界では全国大会優勝の常連だったチームに追い付け追い越せと、町田の少年サッカーの発展に携わってきました。当時のことを思うと隔世の感はあるのですが、よくぞここまで来たなと、感慨深いものがあります」

FC町田ゼルビアの前身にあたるFC町田トレーニングセンターが発足したのは1977年。当時、少年サッカー界最大の目標だった全日本少年サッカー大会に出場し、全国レベルに追い付きたいと考えていた町田の少年サッカー界の面々は、最大の壁として立ちはだかるであろう清水FCになんとか太刀打ちしようと、さまざまな施策を模索していた。

その過程で行き着いた結論へのヒントは、まさに相手チームにあった。当時の清水FCは、地元の選りすぐりのプレーヤーが集結した選抜チーム。「仮に町田の選抜チームを結成すれば、清水FCにも太刀打ちできるんじゃないか」。そう考えたのちのクラブの創始者である重田貞夫氏や守屋相談役らは、町田の選抜チーム発足を町田サッカー協会に提案。周囲の反発は避けられなかったが、粘り強い議論の末、選抜チーム・FC町田トレーニングセンターが発足した。

こうして結成されたFC町田は、翌1978年の2月に開催された藤枝JC杯という大会にエントリー。同大会では長谷川健太(現・ガンバ大阪監督)、大榎克己(元・清水エスパルス監督)、堀池巧(現・順天堂大学サッカー部監督)という“清水三羽烏”を擁する清水FCに勝利し、大会自体も優勝という最高の結果で終えた。

「清水FCとの試合は、超ロングシュートが決まり、1-0で奇跡的な勝利を収めるという形ではありましたが、この勝利をきっかけに『町田も一つになればやれるんじゃないか』という機運が生まれました。そしてFC町田を一つのチームとして登録して全国大会に出場するようになったのです」

1978年開催の第2回全日本少年サッカー大会に初出場を果たしたFC町田は、全国大会の常連として名を馳せ、1981年の第5回大会では遂にチーム初優勝を飾った。常に目標に定めてきた清水FCを準決勝で破り、決勝では古河少年団(茨城県)との関東対決を制しての初優勝。当時の優勝メンバーには1995年度の天皇杯全日本選手権を制したアーセン・ベンゲル監督(アーセナル/イングランド)率いる名古屋グランパスエイト(当時)で右SBのレギュラーを務めた飯島寿久氏らがいた。その飯島氏は決勝でチームを優勝に導く逆転弾を奪っている。

「あのチームは技術が高くて、想像力も大事にしていた。町田のサッカーの原点と言っていいチームでしたね」

そう言って、守屋相談役は当時を懐かしんだ。

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