「ゼルビアTimes」郡司聡

「僕の原点」。開設5周年に寄せて【★無料公開/特別寄稿】

新国立のゴール裏から。当時はもっと真ん中に陣取っていたけれど

▼国立のゴール裏から

2006年11月20日。東京・国立競技場。あの日、僕は名古屋グランパスエイトサポーターが陣取るゴール裏にいた。目の前で繰り広げられた試合は、Jリーグ・サントリーカップ・チャンピオン・ファイナル決勝。鹿島アントラーズvs名古屋グランパスエイト。0−0のまま、延長戦に突入し、迎えた延長後半110分、ドラガン・ストイコビッチが延長Vゴールを奪って名古屋がチャンピオン・ファイナルを制した。

このサントリーカップは1年限定で催された大会だった。96年のJリーグは過去3シーズンとは異なり、1シーズン制。Jリーグはチャンピオンシップに代わるポストシーズンの大会を新設するため、サントリーカップの開催にこぎつけた。大会方式はナビスコカップの優勝・準優勝チームとリーグ戦の1位・2位チームがタスキ掛けに対戦。リーグ2位だった名古屋は準決勝でナビスコカップ優勝の清水エスパルスと激突した。0−0からのPK戦を制し、ファイナルに進んだ名古屋は、惜しくもリーグ優勝を逃した悔しさを、鹿島から晴らす結果となった。

当時の僕は、名古屋の関東アウェイゲームには必ずと言っていいほど参戦する名古屋サポーター。鹿島とのサントリーカップ決勝では、(たしか)冷たい雨が降りしきる中、96年元日の天皇杯優勝に続く“タイトル”を夢見て、いつものように声を枯らしていた。

表彰式のあと、場内を一周する名古屋のメンバー。ひとしきり選手とサポーターが喜びを共有した後だった。一人の選手のふるまいが、目にとまった。その選手は名古屋サポーターの前で深々と頭を下げて、長時間、頭を上げようとしなかった。

96年限りで退団が決まっていたからだろう。名古屋退団の正式リリースは未発表でも、その男は、次のシーズン、名古屋にいないことを悟った。きっと、中西哲生から、名古屋サポーターへ向けた感謝の、惜別の、メッセージだったのだろう。

「なんであの時、てっちゃん(中西さんの勝手な愛称)は深々と長時間、頭を下げたのか。その時の心境が知りたい」

ほんの些細なことなのかもしれないけれど、個人的なサポーター心理としては、あの時のことを本人に聞きたかった。誰かが聞いてくれないのであれば、自分で聞くしかない。この答えにたどり着くことが、一つの目標になった。当時の僕はサッカーメディアを志すことに決めていたし、てっちゃんが現役の間に、あの瞬間の心境や胸中を聞くためのインタビューを実現させたいとさえ、思っていた。企画の実現性はともかく。しかし、てっちゃんは2000年限りで現役を引退。新卒での業界入りを実現できなかった時点で、一つの目標は潰えた。

金子達仁さん初の著書である『28年目のハーフタイム』につながったナンバーの『断層』という記事を目にしたことが、サッカー業界を目指す“出発点”になった。そしてあの日、てっちゃんの見せた何気ないふるまいを目撃したことが、選手の本音や、チームの今を切り取るという取材上のポリシー構築につながった。今も、これからずっと先も、あの日、てっちゃんに聞けなかったことで後悔した過ちを繰り返したくないーー。その“トラウマ”があるから、前述の取材ポリシーが、変わらず僕の中で在り続けているのかもしれない。

現場では、一瞬の出来事に人間ドラマが凝縮されていることは日常茶飯事だ。ありがたいことに取材者である立場の自分は、当の選手たちに話を聞くことができる。その利点を最大限に生かし、サポーター心理を大事にしながら、チームの、選手たちの、リアルな姿を伝えていきたいと、あらためて思っている。

それでも、自分は万能ではない。“瞬間”を見逃すことだってある。だから時には、読者のみなさんの力を借りながら、選手たちの本音を、チームのリアルな姿を、これから先も伝えていきたいと思う。

Text by 郡司 聡(Satoshi GUNJI)

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