森マガ

なぜ松原良香は「勉強しなければ」と思い立ち、そこで何を学んだのか

※この記事は一定期間を経過した後、有料記事になります。「ごはん要素」がないインタビューです。

 

現役生活を終えてはじめたサッカー事業
そこで直面した苦難に悔しさを覚え
松原良香は世間知らずだったのを自覚した
苦労しながら行き着いた先は
「勉強」の必然性だった

仕事と学校の二足のわらじをこなしながら
松原がまとめた話が本になった
「ストライカーを科学する サッカーは南米に学べ!」の出版にあたり
松原が学んだことと本で語りたかったことを聞いた

 

自転車はタダで置けると思っていた

現役が終わるころに将来を考えたとき、僕たちのころってプロの先輩たちって少なかったですよね。「ドーハの悲劇」の世代が自分たちの上で、その方々ぐらいで。

そうするとみなさん、大体監督やコーチになられたりとかしてたんですけど、他のロールモデルがあまりなかったんですね。引退した決め手は「監督にならないか」と言われたんで、ピンときて辞めたんです。ところが世間のことがよくわかってなかったんですよ。

最初駅に行ったときは、自転車ってタダで駐輪場に置いていいと思ってたんです。そうしたらお金がいるんですね。社会経験が全くなかったんでそんなことも知らず、一度家に帰ってお金取ってきました。

監督の給料では生活が苦しくて、カミさんの実家に住まわせてもらって、カミさんが持たせてくれたおにぎり2つとお茶を新幹線で食べながら練習場に通っていました。でもどうやって生きていけばいいか、なかなかわからないんですよ。

それで、監督の仕事以外にサッカースクールをやって生計を立てようと思ったんです。そのとき「どうせサッカースクールをやるなら東京のど真ん中でやって一番になりたい」と思って、都内でやり始めました。

最初は知り合いの子供とその友達からスタートして。そうしたら東京のど真ん中でやるんで学習院と慶応の子供たちしかいなかったんですよ。そこから僕は今でも学習院の中等科を指導させていただくことになったのですが。

そうこうやっていると、どんどんサッカースクールが広がって、僕自身もやりたいことが増えてきたので、どんどんスタッフを増やしたりしていたんです。

そしてあるとき気付いたんです。相手の立場に立って考えることの重要性を。社会人になっても自分はどんどん攻撃ばかりしていて、守備の部分、会社を支えるところとか、中盤のように会社をコントロールする部分が出来ていないって。やっぱり攻守のバランスが必要だなと。それで、もう一回勉強しようと。

「やっぱりマネージメントは勉強しなければいけない」と思い立ったんです。監督や経営者としての「学び」の必要があるなって。

それで2015年夏に筑波大学大学院を一般入試で受験して、合格しました。監督延長のオファーもあったんですけど断って、「筑波大学大学院人間総合科学研究科スポーツ健康システム・マネジメント専攻」に通い出したんですよ。

基本ってね、やっぱり勉強なんですよ。考えることが大切なんです。それで考えようと思ったら、まずは学校に行くべきだと思ったんですね。

もちろん仕事はしてたんで、それ以外に学校に行くって、やっぱりうちの会社のスタッフの協力がないとできないんですよ。もちろん自分の妻のサポートがないとできないし。

でも自分には見返したいという悔しさがあって。社会人になったときにいろいろ欺こうとしてきた人たちがいたから。

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