森マガ

【日本代表のトレーニング】岡田武史監督(2回目)の時代(6)

岡田監督は脱オシム監督を進める中、次第に練習も非公開を増やしていく。チームでどんな取り組みが行われているか見えなくなってきたのに合わせて、次第にチームの戦いぶりは下降線を描き、ワールドカップ予選、そして本大会に突入する。

岡田監督が自分のコンセプトをはっきりと示したのは、2008年7月28日から30日にかけておこなった日本代表候補合宿で、岡田監督の考え方を理解しようとすると29日が最適だった。29日はそれまでの基本的な練習がくり返されたのだ。

招集された25人のうち、10人が岡田監督になってからは初めて招集されたメンバー。そのため、細かく声明し、短期間に理解させようとしたのだろう。

ウオーミングアップが終わって戦術練習が始まると、まず図14を使用したトレーニングが行われた。

4つの黄色の地点にダミー人形の間隔は横が約5メートル、縦が約10メートル。その手前に配置された4つのコーンに選手が立つ。そして赤い点で表した4人がパスを交換しながらゴールを目指すというベーシックな形だった。

ただし、シュートが外れた場合はダッシュで自分が最初にいた位置に戻り、GKにキャッチされた場合は、GKがペナルティエリア横にスローし選手はそこにプレスをかけなければいけない。

続いて行われたのが図15と図16のトレーニング。

これは図14のダミー人形とコーンをサイドに動かし、今度はサイドを攻略して攻めるという形だった。そして言外には、ポジションが左右に動いたとしても、選手の距離はこの長方形に収まるようにしたいということも表現されているようだった。

ここから応用編に移る。図17と図18は左右こそ違うが、考え方は同じだった。

赤い点に置かれたコーンにそれぞれ選手が立ち、ジャマーとして黄色の点にコーチが入る。サイドラインのところからのスローインで始まるが、4人で急いでゴールを攻めるという練習だった。

30日は練習試合の形を取りながら、途中で時々「フリーズ」が入り細かい修正が加えられていく。また、「シンクロ」によるコーチングも盛んに行われ、選手の理解を含めていった。さらに「とられた瞬間に休むな!」「1枚足りないときにどうするか考えろ」などという怒号も飛び交った。

そしてこの練習の後、岡田監督は次第に非公開練習を増やしていった。報道陣にはチームの断片だけが公開されることになった。しかし、この代表候補合宿で示されたことが、岡田監督の考え方の基本で、結局ワールドカップまでこの考えが貫かれる。

2008年9月からはワールドカップ最終予選がスタートした。初戦のアウェイ・バーレーン戦は3点を奪いながら終了間際に2点を失い3-2。続くホームのウズベキスタン戦は先行され、追いついたが決勝点は奪えず1-1。アウェイ・カタール戦こそ3-0と快勝したものの、ホームで最大のライバル・オーストラリアとは0-0の引き分けに終わった。バーレーンとのホームゲームは何とか1-0で勝ったが、チームのパフォーマンスはなかなか上がらない。

それでもアウェイのウズベキスタン戦で1-0と勝利を収め、日本はワールドカップ本大会への出場を決めた。本来ならこれでワールドカップに向けて雰囲気は盛り上がっていくはずだろう。ところが2010年に入ると東アジア選手権で韓国に1-3と敗れ、その後、ワールドカップを前にしてセルビアに0-3、再び韓国に0-2、イングランドに1-2、コートジボワールには0-2と4連敗して本大会に臨むことになった。

国内最後の壮行試合となった韓国戦で敗戦した後、岡田監督に対するバッシングはピークとなった。イングランド戦、コートジボワール戦でやや調子を上げている様子は見られたものの、あくまでも本大会前の調整試合。外から見ている限り、日本代表にあまり明るい材料は見当たらなかった。

だが本大会では初戦のカメルーンを1-0で下すと、2戦目のオランダにこそ0-1で敗れたものの、デンマークには3-1の完璧な勝利を収め、見事にグループリーグを2位で通過する。ベスト16のパラグアイ戦はお互いに無得点のまま120分の戦いを終えたが、PK戦では残念ながら日本が敗退することになった。

ワールドカップ直前、4-1-4-1のフォーメーションに変更し、阿部勇樹をアンカーに据え、本田圭佑に攻撃の中心核を任せるなどの変遷については見ることができなかったことなどが初戦のカメルーンを戸惑わせ、慎重な戦いをする中で日本が付けいる隙を見つけたのかもしれない。

それでも、それはチーム作り全体から考えると最後の彩りの部分。こうやって岡田監督就任後の最初からトレーニング部分だけを振り返ると、監督は最初の合宿の時から、ワールドカップで戦う日本代表のイメージをしっかり確立していたことが、ハッキリと浮かび上がってくる。

ワールドカップのときに岡田監督が採ったシステムは、そのどれを見てもこれまでのトレーニングの延長線上であり、岡田監督は就任時から多少の修正を加えたものの、ここまでの大まかな道筋は出来ていたものと思われる。ただし、残念なことに非公開トレーニングが続くと監督のビジョンを推測することは出来なかった。

この大会でベスト16に進出したのは、ウルグアイ、韓国、アメリカ、ガーナ、ドイツ、イングランド、アルゼンチン、メキシコ、オランダ、スロバキア、ブラジル、チリ、パラグアイ、スペイン、ポルトガル、そして日本。もし日本が勝ち進めば、次にこの大会で優勝したスペインと対戦することになり、より自分たちの立ち位置がハッキリしたはずだ。

そうすれば、次の4年間のチームの組み立て方は変わっていたかもしれない。だがこの大会で手応えをつかみ、その後の4年間も幸運に恵まれ続けたことで、岡田監督からチームを引き継いだアルベルト・ザッケローニ監督は難しい舵取りを任せられることになった。後になれば、そう考えることができるかもしれない。

そして最後に1つ、見落とされがちなことを書き残しておくとすれば、それは日本代表のコンディションの良さだった。2006年ドイツワールドカップの初戦で坪井慶介が両足に痙攣を訴え交代したことを考えると、この南アフリカ大会のチームの体調管理は非常に上手くいったと言えるだろう。それは日本代表チームの中に、コンディショニングのノウハウが蓄積されたことを意味した。だが果たして、それが生かされるかどうか……。

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