森マガ

「中の人」と言ってもスタッフさんじゃなくて「真ん中」からみた内側と外側

今日、「J論プレミアム」さんで記事を一本公開していただきました。この連載が続けられるのも、記事の下に名前を掲載させていただいている個人スポンサーの方と、読んでくださっている方、そして中の人のおかげです。本当にありがとうございます。

 

今日は、昨シーズンいっぱいで引退なさったこの方にご登場いただきました。

レジェンドが「中」から見た歴史のリアル……鳥栖の高橋義希が語るJ2そしてJ1の道

 

高校を卒業してサガン鳥栖に入り、弱冠20歳にして10番を背負ってキャプテンを務めたレジェンドです。いつも1試合当たりの走行距離がJリーグ全チームの中でもトップクラスで、ランキングにずらりと顔を並べていたのをご存じの方もいらっしゃるかもしれません。最後の2年はなかなか試合に出場することがなく苦しんだと思います。私が聞いている限りでは、下のカテゴリーのクラブからのお誘いがあったようです。また生れ故郷の長野県には2つもJクラブがあるので、そこも悩ましいところではなかったでしょうか。

 

ですが佐賀でパートナーを見つけて結婚し、長らく鳥栖の顔としてプレーし続けた人物は、このまま鳥栖で引退することを選びました。J2時代もJ1になってからも、淡々とプレーを続けるその様は大人しい佐賀県民の心に刻まれたことだと思います。さらっと書きましたが、佐賀県民は私のようにシャイなんです。そうなんです。いつも頬が赤らんでいるように見えた高橋義希さんは、本当に佐賀県民っぽいんです。

 

その高橋さんに自分のプロサッカー人生を振り返ってもらいました。すなわち、鳥栖の歴史を振り返ってもらうことになりました。2004年、夜明け前が一番暗いと言える時期に入団し、その後の鳥栖がよくなる時期についての話です。今年、鳥栖はまた苦しい時期が来ていますが、そんなときこそ高橋氏がクラブに残ったことは大きな意味を持つでしょう。

 

ご高覧いただければ幸いです。どうかよろしくお願いいたします。

 

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