森マガ

なぜ厳しい時代に歩き始め、そこで何が起きていたのかを伺いました

本日、「J論プレミアム」さんで記事を一本公開していただきました。これも支えてくださっている個人スポンサーのみなさま、記事を読んでくださるみなさま、そして書く場所を提供してくださる中の人、加えて今回も厳しい意見をぶつけてくださった編集者のおかげです。本当にありがとうございます。

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今回はいろんな縁をいただきまして、フットサル日本代表監督にお話を伺うことが出来ました。

読売育ちのサッカー少年はなぜフットサル日本代表監督になったのか……木暮賢一郎の歴史を背負った戦い

木暮監督がフットサルをお始めになった時代は、Jリーグができてやっとサッカーがメジャーになってきたものの、日本のフットサルは黎明期でした。

当時、フットサルの本を洋書店で探してもイングランドの「ファイブ・ア・サイド・フットボール」という本ぐらいしか見つかりませんでしたし、内容はフットサルと少し違っていた気がします。当時のフットサルプレーヤーの方はいろいろな情報を仕入れるのに苦労なさっていたと思います。

そんな大変な時期に、どうしてフットサルをプレーしようと思ったのか、そして歩み始めてどう考えていたのかを聞いてみました。

フットサルの道に進んでからの苦労は今回少しだけ教えていただいたもの以上に厳しかったでしょう。それを乗り越えた才能があったのだし、フットサル日本代表の監督になったほどの人ですから、たぶんサッカーの世界で続けていらしてもかなりのステージまで行けたのでしょう。

でも、挫折とそこでの転身があった「おかげ」で、日本のフットサルが進歩したのだと思います。そんな日本フットサル界の生きるレジェンドに、フットサルの前の部分を聞いてみました。

ご高覧いただければ幸いです。どうかよろしくお願いいたします。

 

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