森マガ

この方への期待度の高さを覚えている方も多いと思います

本日、「みんなのごはん」さんに新しい記事を掲載していただきました。これも読んでくださっているみなさま、「みんなのごはん」の私のコーナーを守ってくださっている中の人、そして厳しくも温かく記事を導いてくれる編集者の両角浩太郎さんのおかげです。本当にありがとうございます。

さて、今日はこの方にご登場いただきました。

僕は偽善者でもいい…Jリーグコーチ・宮原裕司が発達障害の子供たちに託した夢

 

東福岡高校時代の宮原さんの活躍を覚えていらっしゃる方も多いでしょう。1997年にはインターハイ、全日本ユース、高校選手権と3冠を達成し、1998年度も高校選手権を制して連覇を達成しました。1学年上の本山雅志さんとのホットラインは素晴らしく、宮原さんはゲーム全体を操っている感すらありました。

高校を卒業して名古屋グランパスに入ることになったときは、気の早い雑誌が名古屋の10番のユニフォームを着せて表紙にしたほどです。ちなみにそのとき実際の名古屋の10番はピクシーことドラガン・ストイコビッチでした。

ただ、気になっていたのは高校時代からヒザをテーピングでぐるぐる巻きにしてプレーしていたことでした。そのヒザの影響がどこまであったか分かりませんが、練習を見ていても僕にはバネが失われているような気がしました。そしてJリーグではなかなか出番が回ってきません。

その後、福岡、鳥栖、C大阪、愛媛と渡り歩き、最後は福岡で現役を終えました。高校サッカーの巨星がこのような形でスパイクを脱ぐとは思ってもみませんでした。そしてどの場面で話を聞いても、いつも謙虚で気配りの言葉が返ってくることが、余計にもっと見たかったと思わせてくる選手でした。

今後は指導者としてきっと多くのいい選手を育ててくれることでしょう。そのことが楽しみです。

ご高覧いただければ幸いです。どうかよろしくお願いいたします。 

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